さらにオーサムストアにとって厄介だったのは、フライング タイガーが体制を建て直して息を吹き返したことだ。フライング タイガーは、サザビーリーグとデンマークのZebra A/Sとの合弁会社である、Zebra Japan(東京都渋谷区)が運営している。現在は手を引いたが、スターバックスの日本法人を運営し、日本のコーヒーショップのトップブランドに育てた、海外ブランドを日本化させるサザビーリーグの手腕は、やはり半端ではなかった。
ゴールドマンサックスやユニクロなどを経て、19年にZebra Japan社長に就任した松山恭子氏は、オーサムストアに圧倒されていたフライング タイガーの改革に着手。1988年に創業以来、多くの国と地域で1000店近くを展開するフライング タイガーは、本来全方位、老若男女が来るブランドだった。ところが、松山氏は子育て世代のファミリーにターゲットを絞り、郊外ショッピングセンターに出店した。
若い子育て層や小さな子どもが喜ぶ雑貨を強化したブランディングを行うとともに、デンマークの本社が提案する商品を取捨選択。日本で売れそうなものは、廃番となったものでも復活させるという、デンマークでは行ってこなかった“禁じ手”までも解禁した。
オーサムストアは東京都心部の路面店で成功すると、郊外のショッピングセンターに広げてブームを拡散してきたが、コロナ禍で売り上げが激減している都心部の集客回復に気を取られているうちに、収益源だったショッピングセンターの市場をフライング タイガーに浸食されてしまった。さらに、郊外ロードサイドでは、カインズやニトリが戦略的に雑貨を強化。都心部ではダイソーやスリーコインズが、資本力を背景に従来では想像できなかった複合大型店を出店して、アフターコロナに備えていた。
気付いてみれば、資本力に乏しいオーサムストアは、都心も郊外もライバルたちに包囲されていたわけだ。トレンドとしてアメカジの退潮も影響したかもしれない。アメカジを主力とするアパレルブランド「GAP」の銀座旗艦店が23年7月に閉店し、旗艦店と呼ぶべき店がなくなった。
今やオーサムストアの挑戦は終わった。しかし、オーサムストアによって、日本の雑貨のレベルが格段に上がり、日本人の生活のある部分を豊かにしたのは確かだと筆者は考える。オーサムストアのDNAを継承する元社員や元ファンによって、遊び心を引き継いだ新しいブランドがやがて起業され、勃興する日が来るのではないかと期待している。
長浜淳之介(ながはま・じゅんのすけ)
兵庫県出身。同志社大学法学部卒業。業界紙記者、ビジネス雑誌編集者を経て、角川春樹事務所編集者より1997年にフリーとなる。ビジネス、IT、飲食、流通、歴史、街歩き、サブカルなど多彩な方面で、執筆、編集を行っている。著書に『なぜ駅弁がスーパーで売れるのか?』(交通新聞社新書)など。
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