ダイソー創業者・矢野博丈さん「人生好転の秘話」 感動的なスピーチを紹介(1/2 ページ)

» 2024年03月13日 13時24分 公開
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 大変親しくさせていただいた大創産業創業者の矢野博丈さんが先月、80歳でお亡くなりになった。「もう会えないのか」と心が縮むような思いだ。最初の出会いは30年ほど前で、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊さんの紹介だった。矢野さんは当時、伊藤さんのカバン持ちのようなことをして経営を勉強されていた。その後「100円ショップ・ダイソー」を国内外で大成功された。

 ある時、私が広島の講演会で、カンボジアで孤児院運営や学校建設をしている話をした。すると最前列で大泣きしている人がいた。それが矢野さんだった。楽屋を訪ねてきてくれ「私も子供たちを応援したい」といってその場で5000万円の寄付を申し出てくれた。それからも毎年支援を続けてくれた。

 矢野さんは9回も職を変えて、夜逃げも経験して100円ショップのビジネスにたどりついた。「どんなに売っても100円ではもうからない」と周りに反対されたらしい。それでも「1円でももうかればいい。100個売れば100円になる」という気持ちで「この商売にしがみついた」という。それは「どん底」を経験した人だけがたどりつく発想で、経営コンサルタントにはない発想だ。

 矢野さんは、値段を気にせず買い物ができるという文化を創った。和民創業時も家族で来店し、お父さんが「何でも食べていいぞ」という世界を作りたかった。矢野さんの事業にはその豊かさがある。成功されたあとも「いつ潰れるかわからない」といい、東広島市にあるダイソーを訪れたときも本社が質素だったことが印象的だった。

photo 野外音楽堂の完成式典で。私の左隣がダイソーの矢野さんだ=2023年8月4日、岩手県陸前高田市

 昨日で東日本大震災から13年が経過した。矢野さんは被災地を笑顔にしたいと、岩手県陸前高田市のワタミオーガニックランドに作った野外音楽堂の建設費用を全額寄付してくれた。

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