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続く賃上げ 「初任給バブル」に隠されたカラクリとは働き方の「今」を知る(3/4 ページ)

» 2024年03月28日 07時00分 公開
[新田龍ITmedia]

「月80時間分の固定残業代」に潜む違法性

 高額な初任給設定自体は歓迎されつつも、「実は月80時間分の固定残業代が含まれている」と聞けば抵抗感を抱く人もおられるだろう。労働基準法の改正によって、大企業は2019年4月、中小企業は20年4月から、残業時間には上限規制がかけられている。

 そして「月80時間」という設定は、この上限規制を大きく上回ってしまうため「そもそも、労働契約として無効なのでは?」との疑念が生じてしまうのも致し方ないだろう(参照:厚生労働省「働き方改革〜一億総活躍社会の実現に向けて〜」)。

 法律では、労働時間と残業時間の規制はこのようになっている。

  • 労働時間の基本は「1日8時間、週40時間」まで
  • 残業を可能にする労使間協定(36協定)を結んだとしても、残業時間の上限は原則として「月45時間・年間360時間まで」
  • なおかつ、残業時間が月45時間を超えることができるのは「年間6カ月まで」
  • 特別な事情があって労使が合意する場合でも、「複数月の残業時間平均は80時間以内」「年720時間以内」という基準を超えることはできない

 従って、法に照らして考えると、固定残業として設定できる残業時間はせいぜい「月30時間」(年間上限360時間÷12)であり、多く見積もったとしても「月45時間」(単月上限時間)が上限となってしまうのだ。

 それ以上の設定となると「違法レベルの残業が常態化している」と捉えられても文句は言えない。そのような中で「固定残業80時間」との設定は、当該基準を明らかに上回っているため、「月々の残業が80時間超えだと過労死ラインでは?」といった懸念も多く寄せられることになってしまった。

提供:ゲッティイメージズ

 「明らかに長時間設定の固定残業時間は問題ではないか?」という風潮が高まってきたことにもっとも神経を尖らせているのは、実際に長時間の固定残業制を運用している企業の人事労務担当者であろう

 4社に1社が導入している旨は先述の通りだが、筆者の経験上「固定残業制は実質『定額働かせ放題』! 従業員に無制限に残業させ、トコトン使い潰してやろう!」といった悪意をもって運用しているようなブラック企業はほんの一握り。

 固定残業時間を長時間に設定している企業における実際の運用事例の多くは、「細かい残業時間計算の手間を省き、労務管理コストを低減させるため」とか「36協定の特別条項を設定した際に80時間と決めていたので、それに合わせて」といった形であり、なにも恒常的に80時間残業させているわけでは決してないのだ。

 そこで、本件を「違法性がない点」と「違法性の疑いがある点」に分けて解説しよう。

違法性がない点

「月80時間分の固定残業」といっても、「長時間残業を強制される」わけではない

 固定残業時間の設定が月80時間だからといって、「毎月80時間の残業を強制される」というわけではない。あくまで設定上の上限値であるから、あらかじめ「80時間分の残業がある前提で、その分をみなしで払う」という意味でしかなく、早く仕事が終われば早く帰れることはもちろん可能だ。仮に残業ゼロで仕事を終えられれば、80時間分の残業代は丸儲けということになる。効率的に仕事を進められる人にとってはメリットのある条件といえよう。

 例えば、サイバーエージェント社が公表している平均残業時間は「月約31時間」。実情がこのとおりであれば、「月45時間以内」という法律の範囲内に収まっており合法であるし、社員にとっても約50時間分の残業代を余分にもらえているわけであるから、何も問題はないはずだ。

 実際働き方改革を各社で取り組み始めたばかりの草創期にも「仕事を早く終わらせるインセンティブ」とするために、各社で固定残業制が導入されたことは記憶に新しい。同時に、仕事を効率よくこなし残業が少ない社員と、ダラダラ残業し残業代を稼いでいた社員との間の給与差の不公正を解消できるというメリットもあったのだ。

違法性の疑いがある点

固定残業時間として月45時間を超える設定は、仮に裁判で訴えられた場合「無効」とされる可能性が高い

 法の精神に照らして考えれば、月45時間を超える残業はあくまで「例外」の扱いだ。特別条項付き36協定を締結することで可能とはなるものの、あくまで「通常予見できない特別な事情が発生した場合に限って臨時的に許容」される特例である。

 従って、固定残業代を「月80時間」で設定しているということは、「通年で45時間を超える残業が発生する」とみなしているわけで、仮に裁判になれば無効とされる可能性が高い。その場合、固定残業代は基礎賃金として扱われることになる。

 この「事実上は慣例的に行われているが、仮に裁判になった場合、無効と判断される可能性が高い」という点において、わが国における「解雇」と近しいものがあると言えるだろう。ちなみにわが国における解雇については過去記事(クビは4種類ある──ツイッター社の大量解雇から学ぶ、日本の「クビ論」)でも解説しているとおり、「解雇を規制する法律がガチガチに固められていて、解雇したら即ペナルティが課せられる」のではなく、「解雇自体はできるが、もしそれが裁判になった場合、解雇無効と判断されるケースが多いため、実質的には解雇が困難」という表現がより実態を正確に表している。

 実際、固定残業代に関しては多くの判例があり、法的要件を満たしていなければ無効と判断されている。設定時間が何時間であれ、実態として労働者の健康を害する長時間労働がなされていた場合、「公序良俗違反で無効」になるとの判断も存在するのだ。

 あくまで固定残業の設定時間は便宜上のものであり、「実際、恒常的な長時間労働でなければ問題にならないのでは?」との考えを持たれる方も多いであろうが、過去の無効判例の多くが残業時間上限規制前であったことを考えると、現状、判断はより厳しくなっていることが考えられる。

 もし法改正前のままで36協定を締結し、かつ長時間設定の固定残業制を維持されている各社は、自社設定や求職者への告知方法に違法性の疑いがないかどうか、今一度ご確認いただくことをお勧めしたい。

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