「あの商品はどうして人気?」「あのブームはなぜ起きた?」その裏側にはユーザーの心を掴む仕掛けがある──。この連載では、アプリやサービスのユーザー体験(UX)を考える専門家、グッドパッチのUXデザイナーが今話題のサービスやプロダクトをUXの視点で解説。マーケティングにも生きる、UXの心得をお届けします。
中国や米国で自動運転による無人タクシーが話題を集めています。「乗ってみた」ブログやアプリのレビューを見てみると、「未来の体験をした」「ドライバーとのコミュニケーションに気を配らなくてよいのは楽」「チップ疲れの救世主!」などと賞賛する声が印象的でした。
一方で、「予期せぬエラーが発生した」「目的地追加など細かな要望には答えてくれなかった」「停車位置に配慮が足りない」などの課題も見られました。後者の2つは有人の場合でも起こり得る問題だとは思いますが……いずれにせよ、さまざまな声とともに多くの人々に注目されているといえるでしょう。
振り返ってみると、タクシーはスマートフォンや自動車などに搭載される技術の発展とともに、この10年で大きな変化を遂げてきました。アプリで配車ができるようになってからは、街中でなかなか来ないタクシーに焦ったり、乗ろうとしていたタクシーを横取りされたり……といったシーンも減ったのではないでしょうか。
今回は、ビジネスパーソンの移動に欠かせないタクシーについて、ユーザー体験の変化に則りながら、「自動運転を阻む4つの心理的バイアス」や「理想の移動体験」を考察していきます。
タクシー配車アプリが日本で初めて登場したのは2011年にさかのぼります。日本交通グループのシステム部門である日交データサービスが「日本交通タクシー配車」アプリを開発、リリースしました。このアプリは、スマートフォンのみでタクシーの配車依頼が完結するという革新をもたらし、全国のタクシー事業者が利用できるプラットフォームを提供しました。
さらに、翌2012年には、日本初のネット決済サービスが導入され、タクシー配車のスタンダードとして、アプリの利用が急速に広がりました。このように、タクシー配車アプリは瞬く間に業界の当たり前を築き、今では欠かせない存在となっています。
ICT総研の需要予測では、2024年末の日本国内のタクシー配車アプリの利用者数(ユニークユーザー数)は1664万人と推計され、2027年末には2055万人にまで増加すると見込まれています。
この利用者増加の背景にはさまざまなユーザー体験の向上があります。これまで配車に必要だった、タクシー会社への電話や、屋外でタクシーを待つことはもちろん、街中で手を挙げたのに停まってくれないなどの嫌な体験をすることもなくなり、それまであった負のほとんどを解消しました。
今や、アプリで乗車前に目的地を指定でき、支払いも電子決済でスムーズに。急いでいる時でも優先パスを利用して確実にタクシーを手配できたり、空気清浄機の搭載やスライドドア、トールワゴンタイプなど車種を選択できたりなど、細かい要望の調整も可能です。2019年度グッドデザイン賞を受賞した配車アプリ「S.REIDE」は、アプリを起動し1回スライドするだけでタクシーを呼べると話題になりました。
こうした変化は、聴覚障がいのある方や外国人観光客など、電話や対面でのやり取りにハードルがある方にとっても、タクシー利用がしやすい、ストレスのない体験につながっています。アプリで呼べることの気軽さから若年層のタクシー利用向上にも寄与しているようです。
アプリにより、ユーザーの利便性は大幅に向上しましたが、タクシー業界は運転手の減少という大きな課題を抱えています。特に地方都市においては、運転手の高齢化が進み、若年層の新規参入が少ないことが顕著になっています。
規制により自由に料金を設定できず収入が安定しないことが多い中で、デジタル化による新たなテクノロジーへの対応などサービス品質の向上が求められ、さらに運転手不足により1人当たりの労働時間が長くなるという悪循環も発生し、引退するドライバーも多いのだそうです。稼働できる車両が少なくなってしまっては、いくら配車アプリの利用体験が向上しても待ち時間が長くなり、ユーザー満足度は低下してしまいます。
この課題に対しては、AIを活用した配車システムが一定の課題を解決します。リアルタイムで需要を予測し、最適なルートを計算することで、運転手の空車走行を削減し、燃料コストの節約や労働時間の短縮を実現しています。
さらに、乗客の現在地の正確な特定や到着予定時間の予測精度の向上、需要と供給のバランスを最適化するなど、ユーザー体験の向上が期待できる点も大きなメリットです。
しかし運転手の減少や労働条件の改善といった根本的な課題を解決するには限界があり、人材確保や職場環境の改善といった人材面での取り組みも同時に進める必要があり、業界全体の持続可能な成長には多面的なアプローチが求められます。
そこで話題になっているのが、冒頭に登場した自動運転による無人タクシーです。しかし、日本では自動運転技術に関する法律や規制がまだ十分に整備されていなかったり、利用者の信頼や安全性への懸念が根強かったりするため、社会が受け入れるにはまだ時間がかかるといわれています。
利用者の安全性への懸念には、複数の心理的バイアスが影響していると考えられます。バイアスとは、認識の歪みや思考の偏りなど、直観や先入観に基づいて非合理的な判断を下してしまう心理現象を指す言葉で、心理学や行動経済学などで用いられる考え方です。
まず挙げられるのは「リスク認知バイアス」です。リスク認知バイアスとは、一般的に客観リスクと主観リスクの乖離(かいり)のことで、 リスクを過大あるいは過小に評価してしまうことをいいます。従来の運転スタイルを根本的に変える自動運転技術の安全性を、多くの人が必要以上に不安視しています。事故の報道や技術的なトラブルに関する情報が伝わると、バイアスはより強く新技術に対する不信感として認識されることでしょう。
また、自身の能力を過大評価してしまう「ダニングクルーガー効果」に代表される「自己過信バイアス」も影響しています。多くのドライバーは、自分自身の運転技術を過信し、「自動運転システムよりも自分の方が安全である」と考える傾向があります。これにより、自動運転車への依存を避け、手動運転を選好するケースが増えるため、自動運転の普及が遅れる原因となりえます。
さらに、不確実な要素を避ける「不確実性回避バイアス」も普及を阻む要因です。自動運転技術はまだ新しい分野であり、その長期的な信頼性や安定性については未知数な部分が多いです。人々の不確実性回避バイアスによる自動運転技術の成熟度に対する不安は、普及を遅らせる要因の一つといえるでしょう。
最後に「コストバイアス」があります。自動運転車の初期導入コストやメンテナンス費用が高いと感じることが、購入や利用をためらう原因となります。価格に対する敏感さが、普及のペースを鈍化させる一因となります。日本人は特にリスク回避志向が強いことから、世界でもより自動運転の導入が困難だと考えられます。
移動をただの手段と捉えた場合、その体験に「効率」を重視するか、「楽しさ」を求めるかは人それぞれです。誰とも話さず、低コストでドアトゥドアの移動を望む人にとって、自動運転による無人タクシーは「革新的な技術」といえるでしょう。新しい技術に対する抵抗が少なく、目的達成を最優先とする人々にとっては、これ以上ない便利な移動手段となります。
一方で、旅行好きでその土地の文化や人との交流を楽しみにしている人々にとっては、たとえ、少々時間がかかったり、道中で予期せぬ出来事があったりしても、眺める街の風景や、現地の人々とのふれあいが何よりの価値を持つと考えるでしょう。見知らぬ街で手を挙げてタクシーを拾い、運転手と交わす会話や、そこで得られる地元のおすすめ情報こそが「理想の移動体験」です。時間通りにこない赤いロンドンバスにやっと乗れたと思ったら、驚くほどの揺れに転びそうになった──それもまた「旅先での移動体験」として、後々思い出話に花を咲かせられることでしょう。
移動にどのような体験を求めるかだけでなく、どの程度目的を重視するかもまた人それぞれであり、目的やシーンによって求めるものが変わる人もいます。
このように、「良い体験」とは一律ではなく、体験者の価値観や状況に大きく依存します。UXデザインの面白さであり、同時に難しさでもあるのが、この多様なニーズにどう応えるかという点です。
技術の進化はこれまで多くの課題を解決してきましたが、最近では、あえて手間がかかる体験を「良い」と感じる人も増えています。技術そのものが目的ではなく、その技術がどんな人にどのような体験を提供するのかを真剣に考えることが重要で、本当に必要とされる人々に届けられるよう、デザインしていく必要があります。
自動運転技術が進化し、無人タクシーが広く浸透することで、公共交通機関を利用するのが難しい人々が移動の自由を享受できる日が来ることを、心から期待しています。
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