この記事は、森川天喜氏の著書『かながわ鉄道廃線紀行』(神奈川新聞社、2024年)に、編集を加えて転載したものです(無断転載禁止)。なお、文中の内容・肩書などは全て出版当時のものです。
2004年1月末、横浜高速鉄道みなとみらい線との直通運転開始により、横浜―桜木町間が廃止に。同時に横浜駅が地下に移設され、東白楽―横浜間の線路も地下化された。その線路跡は、今どのようになっているのか、あらためて歩いてみることにした。
旅行・鉄道作家、ジャーナリスト。
現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など。
新太田町駅というのはかつて存在した東横線の駅である(現・東白楽−反町間)。案内板は表面が劣化しており、文字が読み取りづらくなっているが、新太田町駅について、次のように記されている。
「東京急行電鉄東横線新太田町駅は、1926年(大正15年)2月14日に開設され、1945年(昭和20年)5月29日の空襲で被災したため6月1日より営業を休止し、翌年1946年5月31日廃止となりました。その後、新太田町駅跡は、1949年(昭和24年)日本貿易博覧会が反町(たんまち)付近で開催されたときには、会期中(昭和24年3月15日〜6月15日)に『博覧会場前』駅として旧駅を利用して臨時駅が開設されたこともありました。」
廃止後、わずかな期間のみ復活したことから、“幻の駅”とも言われているようだ。
散歩を続けよう。鉄道廃線跡をたどろうとすると殺風景な景色の中を歩く場合も多いが、この道は「フラワー緑道」というだけあって、色彩豊かなさまざまな草木が目を楽しませてくれる。また、足元を見れば、部分的にではあるがボードウォークにレールがはめ込まれている区間もあり、廃線旅の気分も味わえる。
新太田町駅跡から300メートルほど歩を進めると、反町駅の手前に、国道1号線(横浜新道)を跨ぐ橋がある。この橋(東横フラワー緑道反町橋)は、かつての東横線の鉄道橋を活用している。
反町駅を過ぎると、やがて前方に「高島山トンネル」が見えてくる。このトンネルも、かつての東横線の遺構である。『東京急行電鉄50年史』には、高島山トンネル開削時の難工事の様子が、次のように記録されている。
「高島山隧道(ずいどう)は、当時、関東私鉄では例のない延長173・72メートルの複線隧道であった。当初は、大正15年1月に竣工の予定であったが、竣工まぎわになって隧道頂部に亀裂がはいったため遅れ、ようやく2月14日の開業日に間に合わせた」
川崎を走った「トロリーバス」老朽化で解体か? 電車でもバスでもない、謎の乗り物が活躍した過去
モノレール登場から200年、なぜ広まらなかったのか LRTにも共通する課題
設備投資に1486億円 「富士山登山鉄道」構想に推進・反対派が真っ向対立 問題点はここだ
「鳥貴族に電話したらAIが出た」 スムーズなやりとりに驚きの声
マイナカード、「スマホに搭載」 なにができるようになる?Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング