川崎を走った「トロリーバス」老朽化で解体か? 電車でもバスでもない、謎の乗り物が活躍した過去(1/2 ページ)

» 2024年12月20日 07時00分 公開
[森川天喜ITmedia]

 法令上は「鉄道」に分類される、不思議な乗り物「トロリーバス」――。

 かつて川崎市内を走っていたトロリーバスは時代とともにその役割を終え、現在、そのうちの1台が同市高津区の二子塚公園という小さな公園で保存されている。住民の集会所などとして活用されてきたが、このほど老朽化を理由に、惜しまれながらも解体されることになった。

二子塚公園で保存されてきたトロリーバス。訪問時、車両前面はブルーシートで覆われていた(2024年12月18日、筆者撮影)

 ところが解体の決定をメディアの報道で知り、「買い取りたい」という人も現れ、一転、別の場所での保存の可能性も出てきたという。トロリーバスは全国でも保存例はまれであり、貴重な存在であることは間違いない。

車両側面(2024年12月18日、筆者撮影)
車両後部。側面に「104」号車の表記(2024年12月18日、筆者撮影)
乗降口(2024年12月18日、筆者撮影)

 トロリーバスはどのような経緯で登場し、消えていったのか。旅行・鉄道ジャーナリスト森川天喜氏の著書『かながわ鉄道廃線紀行』のコラムは、当時の様子を詳しく振り返っている。同書籍から抜粋して紹介したい。

筆者プロフィール:森川 天喜(もりかわ あき)

旅行・鉄道作家、ジャーナリスト。

現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など。


工場地帯を結んだ川崎のトロリーバス

 電車なのか、バスなのか。戦後の復興の最中にあった川崎に、風変わりな乗り物が登場した。その名はトロリーバス、略して「トロバス」である。

 見た目はバスと一緒だが、日本語の名称は「無軌条電車」。屋根上にトロリーポール(集電装置)は付いているけれど、レールはない。なんとも不思議な乗り物である。

 日本でトロリーバスが最初に登場したのは京都市営の1932年。2番目が1943年に開業した名古屋市営と一般的に言われているが、実は1928年に兵庫県川西市の花屋敷温泉・遊園地のアクセス用に開業した日本無軌道電車(民営)が最初だった。だが、この路線は営業不振のため、わずか4年で廃止されている。

 関東で最初に登場したのが川崎市営で、1951年3月の開業。全国では4番目ということになる。すでに立派な市電の路線網を持っていた東京や横浜と異なり、川崎には戦時中に急ごしらえで敷設された、わずかな距離の市電しかなかったのが“関東初のトロバス”の栄誉を手にできた理由だろう。ちなみに、川崎は電車(大師電気鉄道)が登場したのも関東初であった。

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