法令上は「鉄道」に分類される、不思議な乗り物「トロリーバス」――。
かつて川崎市内を走っていたトロリーバスは時代とともにその役割を終え、現在、そのうちの1台が同市高津区の二子塚公園という小さな公園で保存されている。住民の集会所などとして活用されてきたが、このほど老朽化を理由に、惜しまれながらも解体されることになった。
ところが解体の決定をメディアの報道で知り、「買い取りたい」という人も現れ、一転、別の場所での保存の可能性も出てきたという。トロリーバスは全国でも保存例はまれであり、貴重な存在であることは間違いない。
トロリーバスはどのような経緯で登場し、消えていったのか。旅行・鉄道ジャーナリスト森川天喜氏の著書『かながわ鉄道廃線紀行』のコラムは、当時の様子を詳しく振り返っている。同書籍から抜粋して紹介したい。
旅行・鉄道作家、ジャーナリスト。
現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など。
電車なのか、バスなのか。戦後の復興の最中にあった川崎に、風変わりな乗り物が登場した。その名はトロリーバス、略して「トロバス」である。
見た目はバスと一緒だが、日本語の名称は「無軌条電車」。屋根上にトロリーポール(集電装置)は付いているけれど、レールはない。なんとも不思議な乗り物である。
日本でトロリーバスが最初に登場したのは京都市営の1932年。2番目が1943年に開業した名古屋市営と一般的に言われているが、実は1928年に兵庫県川西市の花屋敷温泉・遊園地のアクセス用に開業した日本無軌道電車(民営)が最初だった。だが、この路線は営業不振のため、わずか4年で廃止されている。
関東で最初に登場したのが川崎市営で、1951年3月の開業。全国では4番目ということになる。すでに立派な市電の路線網を持っていた東京や横浜と異なり、川崎には戦時中に急ごしらえで敷設された、わずかな距離の市電しかなかったのが“関東初のトロバス”の栄誉を手にできた理由だろう。ちなみに、川崎は電車(大師電気鉄道)が登場したのも関東初であった。
モノレール登場から200年、なぜ広まらなかったのか LRTにも共通する課題
設備投資に1486億円 「富士山登山鉄道」構想に推進・反対派が真っ向対立 問題点はここだ
ナイキ「オワコン化」の足音 株価急落、新興シューズメーカーが影
書類でよく見る「シヤチハタ不可」、シヤチハタ社長に「実際どう思ってますか?」と聞いたら意外すぎる答えが返ってきた
「うどんみたいな布団」が突如爆売れ、Xで16万いいね 「売れたらラッキーくらいに思ってた」と担当者Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング