コロナ禍で、ドミノ・ピザの快進撃には、目を見張らされた。しかし、同時にかつての「東京チカラめし」「いきなり!ステーキ」のように性急な店舗拡大による「店舗同士のカニバリゼーション」や「経験不足の店員急増によるクオリティーの低下」を心配する向きが宅配業界内にあった。東京チカラめしは国内最大で約130店あった店舗が2店に、「いきなり!ステーキ」は約500店あった店舗が175店にまで激減している。
ドミノ・ピザジャパンは、1985年に東京・恵比寿で1号店を出店した。日本で展開するに当たり、当時国内のチェーン展開を担当したアーネスト比嘉氏(現ウェンディーズ・ジャパン会長、ファーストキッチン会長、ヒガ・インダストリーズ会長兼社長)は、米国のように自動車でピザを運ぶのは、日本の狭い道路事情では難しいと判断。
三輪バイクを導入して、わざわざ外食に出ずとも、家まであたたかいピザを迅速に配達してくれる、全く新しい宅配ビジネスとして市場を開拓した。現在はピザ以外にも寿司、弁当などにフード宅配は拡大しているが、元祖として市場形成にドミノ・ピザが果たした役割は絶大である。
その後、ドミノピザ・ジャパンは2010年に米国投資ファンドであるベインキャピタルの100%子会社となる。ドミノ・ピザエンタープライゼス傘下に入ったのは2013年だ。当時の国内の店舗数は業界2位の216店、2013年3月期の売上高は215億円だった。
当時の業界1位は「ピザーラ」で、店舗数では2倍以上の差がついていた。直営主義で経営してきたのドミノ・ピザに対し、ピザーラはFC(フランチャイズ)方式だったことで、迅速に拡張できた面があった。
“閉店ドミノ”の「ドミノ・ピザ」が、さらに「苦戦」しそうなワケ
セブン「宅配ピザ」参入の衝撃 テスト販売から一気に拡大も納得の理由Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
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