入社後、最初の数年はプランナーとして企画をひたすら考える日々だったという。
「プランナーとして働く中で、徐々に自分のやりたいことが見えてきました。それを形にするために、同じ志を持つ仲間を社内で募って、チームを作ったんです。クライアントからの依頼を待つだけじゃなく、自分たちから『こんなことやりませんか』って自主提案もどんどんしていきました」
プランナー時代の代表的な仕事が、ポカリスエットのキャンペーンだ。通常のCM音楽制作という枠を超えて、アイナ・ジ・エンド氏とROTH BART BARONでユニットを結成し、「10年先も残る音楽」を作るという大胆な提案を実現。この曲は今でもライブで歌われ続け、ポカリスエットのブランドイメージを音楽として定着させることに成功した。
こうした自発的な活動が評価され、鈴木氏は2024年に、28歳の若さで「クリエイティブディレクター」に就任した。この時の鈴木氏が大切にしていたのは、仕事を「待つ」のではなく「仕立てる」という発想だった。
例えば、商品広告のオリエンを受ける際も「追加でこんなアプローチをしたら、さらにブランドの価値が上がるのではないか」などとプラスαの提案をするという。「正直、『空気が読めないやつだな』と思われることもあります。でも、『面白くするには、絶対に必要なアプローチなんです』という気持ちで、粘り強く提案し続ける。良いクリエイティブを作るには、“気持ち悪い”くらいの執念が必要なんです」
このように語る鈴木氏だが、過去には失敗もあったという。1年目のころは「クオリティーの高いものだけを提出したい」というプライドから、打ち合わせに企画を1〜2案しか持っていけなかったことがあったと振り返る。
「そのとき先輩から『むしろ、自分ではダメだと思う案や、こんなありえない! と思う案でも持ってきてほしい。そこから芽がありそうなものを議論したい』と言われました。その言葉を受けて、アイデアはまずたくさん出すことが大事だと気付き、積極的に企画を出すようになりましたね」
鈴木氏は「1年目は、先輩の言葉を素直に聞けないこともあるかもしれないが、やはり自分の先を生きている人の言葉なので、受け入れて聞いてみるべき」とし、「自分の殻に閉じこもったり、答えを決めてしまったりする人のほうが成長しないと感じます。挫折は挫折として素直に受けいれるのがいい」と語った。
仕事の根底にあるのは、「傷跡を残す」という鈴木氏独特の仕事観だ。
「要は『その時代の記憶に刻まれる仕事』という意味です。3年後に仕事を振り返った時、悔いが残らないか。誰かが覚えていてくれる仕事ができたか。そんなことを常に考えています」
実際、鈴木氏が手掛けた仕事の多くは、単なる広告を超えた影響を生み出している。
「傷跡を残すということを考えたときに、僕が作りたいのは誰かの行動を変えるクリエイティブだな、と。それを見て映像を作り始める人がいたり、新しいサービスに挑戦する人が現れたり。そういう連鎖を生み出したいんです。大切なのは、企業の都合やクリエイターのエゴじゃない。世の中にとって、今このタイミングで必要なメッセージは何か。それを常に考えています」
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