「ピックルボールは、男女や年齢を問わず同じコートでプレーできます。言語が通じなくても国際的に楽しめる手軽さもあります。健康面でも優れており、フィジカル、戦略的思考、メンタル面を総合的に鍛えられるところが魅力的なスポーツです」
そう語るのは、若干15歳で「将来ピックルボールのアカデミーを創設し、スポーツを通して、世界中の人々を平和で幸せにする」という夢に向かい、世界に挑戦する佐脇京(さわき・けい)選手だ。佐脇選手は、働き方を変えるDXサービスを手掛けるSansanとスポンサー契約を交わすプロのピックルボーラーでもある。
ピックルボールは今、米国で社会現象を起こしているスポーツだ。Sansanの社長室室長・小池亮介氏がピックルボール推進責任者に任命され、わずか1年で世界大会を開催、プロ契約する選手を輩出するまでに至った。【米国で社会現象の「ピックルボール」世界大会を“わずか1年”で主催 Sansan社長室の挑戦】に続き、挑戦の軌跡を追う。
小池亮介(こいけ・りょうすけ) Sansan社長室室長/コーポレートブランディング室室長/ピックルボール推進責任者(全体統括、企画)。コーポレートブランドの方針策定、発信計画の立案、メンバーマネジメントを手掛ける「このままでは日本は世界から置いていかれる」
この危機感を、小池氏と同じくピックルボール推進担当(実務担当)の西郷琢也氏など多くの関係者が抱いていた。【米国で社会現象の「ピックルボール」世界大会を“わずか1年”で主催 Sansan社長室の挑戦】でレポートした通り、Sansanの挑戦によって、競技の裾野は確実に広がりつつあったものの、競技のレベルという点ではアジアの隣国にも遅れをとっているのが実情だったからだ。
そこで小池氏と西郷氏は思案し、グローバルトッププロ育成プロジェクト「Pickleball X」を立ち上げた。掲げたのは「3年以内に日本から世界ナンバー1のピックルボール選手を輩出すること」だ。夢を背負う存在がいれば、子どもたちは憧れ、競技人口は一気に増える。その背中を追いかける者たちが、新しいコミュニティを生み出せるという思いを込めた。
同プロジェクトにも関わる、ピックルボール専門メディアやオンラインコマース、大会運営などの事業を手掛けているピックルボールワン(東京都渋谷区)社長の熊倉周作氏は、こう語る。
「日本からスター選手が出てくることが競技の盛り上がりには重要です。タレントを持った選手の育成プロジェクトなどを通じて、選手が活躍できる環境整備を進めていきたいと考えています」
Pickleball Xを立ち上げると、さっそく世界のトップを目指す第1期メンバーのセレクションを開催した。
「セレクションの募集期間は2週間ほどしか設けられませんでした。“1人も集まらなかったらどうしよう”と不安でしたが、蓋を開けてみると初日で数十人の募集が、最終的には128人からの応募がありました。『自分たちのやっていることは、独りよがりじゃなかったんだ』と自信を持ちましたね」(小池氏)
Pickleball Xの第1期メンバーから佐脇京選手の他、畠山成冴選手ともスポンサー契約を結ぶことに。9月27日には活動の集大成として、東京・大崎ゲートシティー アトリウムでメンバー限定の大会 「Pickleball X Championship 2025」も開催した。盛況の内に終了。そしてPickleball X第2期も9月に募集した。これからも2人に続くプロピックルボーラーが生まれてくることを期待している。
小池氏と西郷氏は、選手発掘から強化プログラムまでの仕組みづくりに奔走した。スポンサーの支援も取り付け、合宿や遠征の環境も整える。普及活動とは別の“勝負の世界”というステージに足を踏み入れたのだ。構想一年で実現したピックルボール世界大会「PPA TOUR ASIA Sansan FUKUOKA OPEN 2025」の開催は、世界に通用するピックルボール選手を育てるための足掛かりでもあった。
しかし、平坦な道のりを歩んできたわけではない。
「PPA TOUR ASIA」を日本で開催する――。小池氏と西郷氏はこの目標を構想した。
PPA TOURとは、全米を中心に展開している世界最高レベルの選手が参加するツアー形式の大会だ。そのアジア版を日本に誘致できないかと考えた。
その実現には、アリーナなど国際的な大会を開催できるだけのキャパシティーを持つ会場の確保、海外団体との調整、スポンサーとの交渉など数えきれないほどの難題があったという。だが、それ以前に当然、国際大会を開催するためのノウハウを何も持ち合わせていなかった。
特に頭を悩ませたのは、米国で最も権威あるピックルボールのプロリーグである「PPA」(Professional Pickleball Association)として「国際大会としてのフォーマットに準ずること」だった。コート設営、用具、試合進行、審判体制など、細かい部分まで国際基準を整える必要があったのだ。
「以前から、アジアツアーや海外動向に関する情報をかなり持っていた熊倉さんに、さまざまなことを教えていただきました。今回の交渉も熊倉さんに協力してもらい、PPA TOUR ASIAの大会として打ち出すことで、海外選手を呼びやすくなり、本場のセットアップが実現できました。要求は高かったものの、その分大きな価値がありました」(小池氏)
熊倉氏の協力を元に、大会運営に大きな弾みがついた。
福岡県糸島市で開催するにあたっては、自治体や施設との交渉も必要となる。その交渉手段として、小池氏は「お願い」ではなく「相談」と位置づけた。今回の大会も含めたピックルボールの取り組みに対し、Sansan社長の寺田親弘氏は「あくまで自分たちの戦略のためにやっている」と話す。
「結果として地域が盛り上がるのは良いことですが、地域貢献のためにというスタンスは取っていません。その方が、持続可能性もありますし、誤解も少ないと考えています」(寺田氏)。地域振興は目的ではなく結果としていた。同氏の考えにも一致する。
「大会をやらせてくださいではなく、新しいスポーツの取り組みについてご相談させてくださいと伝えることで、相手に『一緒に考える余地』を与えました」(小池氏)
市長や関係者に対しても、過度な売り込みをあえて避けたという。「最近流行していて、子どもから高齢者まで楽しめます」と基本的な情報だけを共有した。自治体側が「なるほど、それなら地域でも広がるかもしれない」と自主的に想像を膨らませる流れを作ったのだ。
地域イベントへの導入も工夫した。縁日や、毎年同じく糸島で開催しているプロゴルフツアー「Sansan KBCオーガスタゴルフトーナメント」でも、ピックルボールの体験コーナーを設けたのだ。そこには意外にも多数の住民がピックルボールを楽しむ姿があった。行政も「これなら地域にとって価値がある」と感じたのか、前向きな反応が返ってきたという。
このように、小池氏らは「共創型」のアプローチによって、自然に協力を引き出すことに成功した。
構想から1年ほどで開催した国際大会の成功の裏には、西郷氏や熊倉氏をはじめとする社内外の仲間との協力があったのだ。結果として、海外選手を含めて延べ1万人以上が訪れる大きな大会を開催できた。同時にSansanのミッションである「出会いからイノベーションを生み出す」を実行していくことになる。
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