経営難や山間部における立地などから経営に参画してくれる企業探しや交渉は困難を極めた。そんな中、三セク側から打診を受けて参画を決めたのがJR九州だった。
同社にとって要請を受けることは「挑戦」でもあった。市内には同社の鉄道が通るが、沿線からは離れており、再建には大きな投資が求められるうえ、梅酒の製造も未知の分野だ。
決め手の一つとなったのが、地元が大事に育ててきた「梅」だ。旧大山町は昭和30年代、米作りに適さない山間部で、収益性の高い梅や栗の栽培を推進するため「梅栗植えてハワイに行こう」をスローガンに掲げた政策を展開。住民の努力は実り、大山の梅は「青いダイヤ」と呼ばれるほど市場評価が高まり、九州有数の梅の産地となった。
当時社長だった唐池恒二氏(現相談役)も「農業の振興が九州の振興につながる」との思いを持っていた。夢工房が製造する梅酒は「全国梅酒品評会」や「世界リキュールコンテスト」で金賞を受賞するほど国内外で評価が高く、同社が運行する豪華寝台列車「ななつ星in九州」にも採用。夢工房をグループに迎え、ともに梅産業を振興する姿を描いた。
平成28年に夢工房を子会社化した同社は、10億円規模の投資で宿泊機能を強化した旅館に改装した。客室数を11室から32室に増やし、景色を臨む露天風呂付きの部屋を設けたほか、梅を前面に出すブランド戦略で、梅を使った体に優しい会席料理や梅酒を提供。外観やインテリアには梅の模様をちりばめ、和の雰囲気と高級感を出した。
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「47都道府県ピンバッジ」が人気 なぜ「群馬県」が断トツに売れたのかcopyright (c) Sankei Digital All rights reserved.
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