かつて京阪神と九州を結んだ寝台特急「ブルートレイン」。その元祖として知られた「あかつき」が誕生したのは60年前の昭和40年10月。その後に登場した「明星」「彗星」などとともに、夜を駆け抜けた青い客車はファンを魅了した。
登場時は新大阪−西鹿児島(現鹿児島中央)・長崎間の1往復だった「あかつき」は増発を重ね、50年3月に山陽新幹線が博多開業する直前は7往復が運行された。しかし、徐々に本数を減らし、合理化や夜行列車の利用減の影響で「なは」と併結運転していた平成20年3月に廃止された。
「国鉄監修 交通公社の時刻表1980年3月号」(JTBパブリッシング刊)を開いてみよう。この時点で「あかつき」は新大阪・大阪−長崎・佐世保間の2往復。うち1往復の佐世保行きがほかの寝台特急とは異なるルートを走っている。
新大阪を出た「あかつき3号」は九州に渡り、早朝の5時過ぎに到着した門司駅(北九州市)で長崎行きと佐世保行きの編成が分かれる。先に出発した長崎行きはメインルートの鹿児島線をたどる。一方、11分遅れで出た佐世保編成は折尾駅(同)の手前から貨物線を経由して筑豊線に入る。石炭産業が盛んだった直方などに停車した後、原田駅(福岡県筑紫野市)で鹿児島線に「復帰」する。原田と佐世保へ向かう佐世保線が分岐する肥前山口駅(現江北駅=佐賀県江北町)までは「あかつき3号」が時間差で2本走っていた。つまり、その途中にある鳥栖駅(佐賀県鳥栖市)や佐賀駅(佐賀市)などに「あかつき3号」は1日に2度やってきたのだ。
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