Dセグメント興亡史:池田直渡「週刊モータージャーナル」(3/4 ページ)
Dセグメントはかつて日本の社会制度の恩恵を受けて成長し、制度改革によって衰亡していった。その歴史を振り返る。
税制に翻弄されるDセグメント
そもそもかつての日本で、なぜDセグメントがファミリーカーの主流であったかを歴史的に振り返るには、5ナンバーと3ナンバーの間にとてつもない税金の隔たりがあったことから説明せねばなるまい。道路運送車両法では5ナンバーは「小型車」であり、3ナンバーは「普通車」になる。法律上別扱いのクルマであり、自家用車全体が「特殊な贅沢品」とみなされていた中で、小型車は庶民のための例外として現在の軽自動車のように税制上優遇措置が取られていたのだ。
さてその税金の差は一体いくらあったのだろうか。例えば、2000ccの小型車の自動車税は3万9500円だったが、サイズもしくは排気量が小型車枠を超えると、これが一気に2倍超えの8万1500円に跳ね上がったのである。
1970年代の常識で言えば、庶民のクルマの排気量は1300ccか1500ccが一般的。1500ccは少し余裕が欲しい人の選ぶクルマですらあった。これが1800ccともなれば、今でいうプレミアムクラスであり、2000ccに至っては富裕層の趣味人用か、法人所有者の黒塗りのクルマという印象があった。
1980年代に入ると、そういう垣根が徐々に曖昧になり、平成に入ると同時に一気に崩れる。1989年(平成元年)の税制改正で、課税額の差が修正され、5ナンバーと3ナンバー間も単純に500ccごとの課税ステップの1つに過ぎなくなったのがその理由である。戦後44年をかけて、ようやく「自家用車は富裕層の贅沢品」という時代が終わったのだ。
背景には日米貿易摩擦による非関税障壁の是正があった。輸入車の多くを占める普通車を贅沢品として懲罰的な重課税対象とすることに対して「非関税障壁だ」という厳しい指弾を受けてのことである。
余談だが、軽自動車とそれ以外を区別するとき、本来この小型車と普通車を合わせて「登録車」と呼ぶのが法的に正しい。だが、登録車では一般的には何のことだか分からないので、筆者は普段、登録車という意味で「普通車」と書いていたりする。Cセグメントにも3ナンバーモデルが存在する現在では、普通車と小型車の違いが実質的に意味がなくなっているのだ。現在では車庫などを含むインフラがかつて5ナンバーサイズで設計されていたことによるサイズ的な問題だけが唯一取り残されている。
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