Lセグメント 環境時代のフラッグシップ:池田直渡「週刊モータージャーナル」(3/4 ページ)
Lセグメントにコストパフォーマンスという言葉は似合わない。そのブランドが信じる「最高のクルマ」を具現化することが目的となるからだ。
環境時代のLセグメント
Lセグメントが現在の構造になったのは1980年ごろだ。1972年にベンツが初代Sクラスをリリースし、1977年にBMWが初代7シリーズを送り出す。この当時のベンツとBMWの関係は、保守本流セダンのベンツと、それとの直接対決を避けるためにスポーツセダンとして微妙に立ち位置をズラしたBMWという構造だった。このクラスへの参入を企図するアウディは、1979年に初代アウディ200で従来モデルより高級なセダンをリリースするが、その差はまだまだ大きく、ライバルと呼べるものにはならなかった。アウディがLセグメントへの本格的参入を果たすのは、1988年にデビューしたアウディV8からだ。これが現在のA8シリーズへと続くアウディのフラッグシップになっていく。
ここに大きな変化をもたらしたのが、1989年にデビューしたレクサスLS(国内名:セルシオ)だ。当時のインプレッションで「静かすぎて違和感がある」とまで言われた静粛性と、低排出ガスでありながら高い動力性能に加え、クラス下のEセグメントでも戦える価格によって、ベンツとBMWの稼ぎ場であった北米マーケットで大成功を収めた。
この流れをすっかり読み違えていたベンツはレクサスLSのデビューから2年後に送り出したW140型Sクラスで大きな戦略ミスをする。最上級を求めるのはLセグメントの宿命ではあるのだが、ついにこのクラスでも環境問題への備えが必須になっていることに気付かず、戦車のような巨体と豪華装備を持ったクルマとしてデビューさせてしまったのだ。エンジンは6気筒、8気筒、12気筒と3つのバリエーションを持ち、サイドウィンドーの二重サッシ化など全てが重厚長大で、ドイツ本国で開かれた国際発表会では「反環境車」と糾弾する「緑の党」による激しい抗議デモで、会場となったホテルに厳戒態勢が敷かれる状態だった。ベンツは発表会のスピーチで「こういう時代になることが分かっていたら、我々はこのようなクルマを作らなかった」という異例のコメントが発表した。恐らく新型車の発表時にそのコンセプトをメーカー自身が否定したのはこれが最初で最後になるだろう。
W140に関して、とにかくブレずに技術の粋を凝らしたクルマと評価することもできるし、そう主張する人もいる。しかしクルマは社会性の高い製品であり、社会全体のトレンドと無関係では存在できない。実際、欧州での売れ行きは低調で、ビジネス的にも失敗した。
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