ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由:高橋名人が語る(3/6 ページ)
任天堂が発売した家庭用ゲーム機「ファミコン」は、80年代を代表する社会的な大ブームを巻き起こしました。どのようにしてそのブームはでき上がっていったのでしょう? その裏側にあったものとは? 立役者の一人である高橋名人が語ります。
なぜファミコンは売れたのか?
そんな中、1983年7月15日に、任天堂のファミコンが登場しました。
ファミコンは、ゲームカセットを交換することで、数多くのゲームを遊ぶことができます。しかし、それだけでは、他社が出していたゲーム機と変わるところはありません。逆に他社から出ていたゲーム機、例えば、「ぴゅう太」のように、最初からキーボードが付いていて、トイコンピュータと呼ばれている製品と比べると、普通のゲーム機に感じたかもしれません。
しかし、ファミコンが他社のゲーム機と一番異なったのは、ローンチタイトルに、「ドンキーコング」「ドンキーコングJr.」というアーケードゲームタイトルがあったことでしょう。
ドンキーコングは1981年に、Jr.は82年にアーケードで登場したビデオゲームです。メモリー容量の関係で、アーケードのゲームそのままがファミコンに移植されたわけではありませんが、画面のグラフィックをはじめとした全体的な移植度のできが良かったことから、子どもたちにとっては、ゲームセンターと同じゲームが、自宅で思う存分遊べるようになったと感じたのではないでしょうか。これが、私の考えるファミコンが成功した理由の1つです。
ゲームセンターにあるビデオゲームを遊んでみたい。でも、父母やPTAに怒られる。ダメと言われたら、よりやってみたくなる……。そんな心理にうまくハマったのが、ファミコンだったのです。
ほかにも、これまで見るだけだったTV画面に、自分が操作するキャラクターが動き、自分の代わりに冒険をしてくれるというワクワク感があったなども人気の理由だったと思います。
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