“オヤジ”たちが今なおミニ四駆に熱狂する理由(1/6 ページ)
模型メーカーのタミヤがレーサーミニ四駆を発売してから30年。かつて社会現象となったミニ四駆が、今また盛り上がりを見せているのをご存じだろうか。タミヤの社員としてミニ四駆の誕生から携わり、「前ちゃん」という愛称でブームの火付け役としても尽力した前田靖幸氏がその舞台裏を語る。
かつて日本中の子どもたちを熱中させ、累計で1億7000万台を超える販売実績を誇る「レーサーミニ四駆」。その立役者である模型・プラモデルメーカーのタミヤがレーサーミニ四駆の商品第1号を市場にリリースしたのが1986年5月。あれからちょうど30年が経つ。
2016年に入って都内で行われた公認競技会をのぞくと、レースへのエントリーだけでも3000人以上の規模となり、順次全国各地で開催されていく。実は今、またブームのうねりが高まっているのだ。1999年を最後に途絶えていた夏休みのタミヤ公認の全国イベント「レーサーミニ四駆 ジャパンカップ」が、2012年から再開されたことが大きなきっかけの1つであるようだ。
競技会会場は往年の小学生軍団がひしめき、特に30代〜40代の男性グループの独特の雰囲気と、見事なまでのミドルシフト(マシン1台にしっかりお金がかかっている)が実感できる。
タミヤの社員としてレーサーミニ四駆の誕生から長きにわたり携わった筆者個人としては、今の小学生のマインドをとらえられていない状況が口惜しいところだが、なぜ現在もこうした光景が見られるのだろうかについて触れておきたい。
2つの漫画による12年もの脈動
レーサーミニ四駆に反応する人たちの多くには、漫画『ダッシュ!四駆郎』の世代と『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の世代という2つの底流がある。
ダッシュ!四駆郎は1987年12月〜1993年2月まで、爆走兄弟レッツ&ゴー!!は1994年6月〜1999年9月まで、どちらも小学館の少年向け漫画雑誌『月刊コロコロコミック』の長期連載だった。それと並行してTVアニメ化され、合わせて12年にも渡って誌上をにぎわせたのである。
この往年の読者の中には、コロコロコミックの漫画や企画にインスパイアされ、レーサーミニ四駆に直向きに取り組んでいながら、公認競技に出たくても抽選に外れ続けた人も少なくない。そう、出場することすら難しいあこがれのステージだったのだ。そうした人たちの多くが、大人になってようやく願いが叶い、当時の自分へとリセットして現在のレースに臨んでいるという。
では、なぜレーサーミニ四駆は、これほどまでに人気を博したのだろうか――。
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