“オヤジ”たちが今なおミニ四駆に熱狂する理由(2/6 ページ)
模型メーカーのタミヤがレーサーミニ四駆を発売してから30年。かつて社会現象となったミニ四駆が、今また盛り上がりを見せているのをご存じだろうか。タミヤの社員としてミニ四駆の誕生から携わり、「前ちゃん」という愛称でブームの火付け役としても尽力した前田靖幸氏がその舞台裏を語る。
「ラジコンボーイ」がきっかけに
少し時間を前に戻してみよう。1983年夏、玩具市場に任天堂のゲーム機「ファミリーコンピュータ」が登場した。間もなくしてそのゲームソフトの情報はいろいろなメディアでたちまち取り上げられていった。
当然のように、少年たちのバイブル雑誌であったコロコロコミックでもファミコン情報が盛りだくさんになっていくが、一方で、この年に、RCカー(ラジオコントロールカー)の漫画「ラジコンボーイ」の連載も始まった。これが、後のレーサーミニ四駆のムーブメントのきっかけになっていることは意外と知られていない。
連載開始当初から反響はすこぶる大きく、やはり男の子には“カーホビー”が必須であることを編集担当の方々と確信したものだ。「ワイルドウイリス」「マイティフロッグ」「グラスホッパー」「ホーネット」「ホットショット」「ブーメラン」「サンダーショット」といったRCカーのネーミングを耳にした方もあるだろう。
ただ、この模型の商品単体を誌面上でキャラクタライズするということは至難だった。例えば、ファミコンのゲームでは、人物や乗物のキャラクタライズがわりと容易で、ユーザーもその世界観に浸ることができる。取扱説明書や情報ページを見るたびに、うまく競技性(ゲーム性)をうたっていて歯がゆくて仕方がなかった。
それでも、コロコロコミックの巻頭カラーで毎号のようにRCカーの激走シーンが披露され、ラジコンボーイの物語でもマシンの功能や由来にしっかり触れてもらった。加えて、当時の学年誌(『小学一年生』〜『小学六年生』)で、小学生にも理解できるように、生物的にマシンの特性が紹介されることが続くと、少しずつ、1台1台のRCカーが“○○なマシン”としてシンボライズされ、キャラクタライズに近い状態にまで進んだ。
関連記事
- ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由
任天堂が発売した家庭用ゲーム機「ファミコン」は、80年代を代表する社会的な大ブームを巻き起こしました。どのようにしてそのブームはでき上がっていったのでしょう? その裏側にあったものとは? 立役者の一人である高橋名人が語ります。 - なぜ「ビックリマン」は年間4億個を売り上げるまでのブームになったのか?
1980年代後半、日本中の子どもたちの間で爆発的なヒット商品となったのが「ビックリマンチョコ」だ。なぜビックリマンは年間4億個も売れるほど大ヒットしたのだろうか……? - 最初はまったく売れなかった明太子、どうやって福岡から全国区に?
日本で最初の明太子メーカーが、福岡市中洲に本社のあるふくやだ。創業すぐに明太子の販売を始めたが、実に10年間も鳴かず飛ばずだったという。そこからいかにして明太子は福岡の名産品にまで育ったのだろうか。 - 地ビールブームから一転、8年連続赤字で“地獄”を見たヤッホーブルーイング
現在、11年連続で増収増益、直近4年間の売り上げの伸びは前年比30〜40%増と、国内クラフトビール業界でダントツ1位に立つヤッホーブルーイング。しかしここまではいばらの道だった……。井手直行社長が自身の言葉で苦闘の日々を語る。 - “あたらない”カキは作れるのか? オイスターバー最大手の挑戦
生ガキなどを提供するオイスターバーの市場が日本で急拡大しているのをご存じだろうか。過去5年間の平均成長率は11%を超える。そのけん引役として今年3月にマザーズ上場を果たしたのがヒューマンウェブだ。ただし、ここまでの道のりは決して楽なものではなかったという。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.