“オヤジ”たちが今なおミニ四駆に熱狂する理由(4/6 ページ)
模型メーカーのタミヤがレーサーミニ四駆を発売してから30年。かつて社会現象となったミニ四駆が、今また盛り上がりを見せているのをご存じだろうか。タミヤの社員としてミニ四駆の誕生から携わり、「前ちゃん」という愛称でブームの火付け役としても尽力した前田靖幸氏がその舞台裏を語る。
最も売れたミニ四駆マシンは?
当時タミヤで企画部デザイン室社員だった筆者とミニ四駆とのかかわりは密接だった。初期モデルのいくつかのデカール(模型に貼るシール)デザインを担当しつつ、宣伝セクションがなかったのでメディア展開も担当するようになった。設計担当者にミニ四駆のシャーシデザインやグレードアップパーツの素案を出しては蹴られることの繰り返しと、自らがコロコロコミックで展開する改造例やグレードアップパーツの試作、そして、そのパブリシティまでが仕事になっていた。
そんな80年代〜90年代にミニ四駆はどれだけ盛り上がったのか。販売台数やイベント来場者のざっくりした数字でイメージしていただこう。
販売台数
直近のタミヤの発表によれば、現在ミニ四駆シリーズは累計1億7500万台以上を販売。歴代マシン中の売上げ第1位は、1988年12月に発売された「アバンテJr.」(タイプ2シャーシー)とされている。
イベント来場者
1988年〜1999年まで計12回開催されたレーサーミニ四駆の日本一を決める全国イベント「レーサーミニ四駆ジャパンカップ」についてのみの数字を挙げれば、競技参加希望者数は1989年(第2回大会)の夏休み期間中、16会場で15万200エントリーが最大。会場への動員数は、爆走兄弟レッツ&ゴー!!のアニメ放送が開始した1996年(第9回大会)の夏休み期間中、14会場で30万4000人が最大となる。(出典:「ミニ四駆 ヒストリカルガイド」小学館 2012年8月より)
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