“オヤジ”たちが今なおミニ四駆に熱狂する理由(5/6 ページ)
模型メーカーのタミヤがレーサーミニ四駆を発売してから30年。かつて社会現象となったミニ四駆が、今また盛り上がりを見せているのをご存じだろうか。タミヤの社員としてミニ四駆の誕生から携わり、「前ちゃん」という愛称でブームの火付け役としても尽力した前田靖幸氏がその舞台裏を語る。
オモチャではない
そんなミニ四駆ブームはどうやって生まれたのだろうか。要因を大枠で3つ挙げるとこんな具合だ。
オモチャではない、タミヤだった。
ミニ四駆シリーズを、最初から「このオモチャは……」などと受け手にアプローチしていたら、大人は「良くできたオモチャだ」と評価したかもしれないが、ターゲットとした小学生高学年の少年たちは「オモチャなら要らない」と呟いていただろう。子どもは“子ども然”と扱われることを嫌うのだ。
タミヤがそれまで成人を相手に勝負してきた、成型品のクオリティ、ドライブトレインの設計精度や耐久性、競技会のレギュレーションや運営のノウハウを、レーサーミニ四駆に対してもそのまま惜しみなく注いだことは、他社との差別化を決する大きなファクターだったと考える。当時ヒット商品だった某メーカーのシリーズに、再生プラスチックを使っていた事例があるが、タミヤはそのようなことは一切しない。また、AD(広告)とパブリシティとの違いを明確にして、子どもが嫌気を起こすもう1つの要素である“お金のにおい”をさせないという点においても多分に配慮した。
コロコロコミック&小学館の学年誌
コロコロコミックで展開される、[連載マンガ]+[ホビー]+[イベント]+[テレビ番組]の連動企画は、当時から小学生、特に中高学年のマインドをがっちりつかんでしまうある種の形(かた)がある。近年では「妖怪ウォッチ」や「ベイブレード」などがそれにあたるだろう。
テレビ番組との連動がなくても、例えば、1982年に登場したタカラ(現:タカラトミー)の「チョロQ」も、巻頭グラフを飾り、漫画「ゼロヨンQ太」が連載され、「チョロQ公認5種競技」といったイベント展開されるなどして、爆発的なブームにつながっていった。
また、学年誌は、文字通り小学生の学年ごとにリーチできる媒体で、当時は小学校の各教室の学級文庫にも備えられていたことがある。そのため、何といっても回読率の高さが頼もしかった。各誌とも1年間のスパンを見通した企画を作るので、例えば、季節ものの要素を入れるなど、タミヤが醸すストイックさを良い意味で和らげ、子どもたちに分かりやすく、よく親しみやすいニュアンスを伝える企画が展開できた。
関連記事
- ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由
任天堂が発売した家庭用ゲーム機「ファミコン」は、80年代を代表する社会的な大ブームを巻き起こしました。どのようにしてそのブームはでき上がっていったのでしょう? その裏側にあったものとは? 立役者の一人である高橋名人が語ります。 - なぜ「ビックリマン」は年間4億個を売り上げるまでのブームになったのか?
1980年代後半、日本中の子どもたちの間で爆発的なヒット商品となったのが「ビックリマンチョコ」だ。なぜビックリマンは年間4億個も売れるほど大ヒットしたのだろうか……? - 最初はまったく売れなかった明太子、どうやって福岡から全国区に?
日本で最初の明太子メーカーが、福岡市中洲に本社のあるふくやだ。創業すぐに明太子の販売を始めたが、実に10年間も鳴かず飛ばずだったという。そこからいかにして明太子は福岡の名産品にまで育ったのだろうか。 - 地ビールブームから一転、8年連続赤字で“地獄”を見たヤッホーブルーイング
現在、11年連続で増収増益、直近4年間の売り上げの伸びは前年比30〜40%増と、国内クラフトビール業界でダントツ1位に立つヤッホーブルーイング。しかしここまではいばらの道だった……。井手直行社長が自身の言葉で苦闘の日々を語る。 - “あたらない”カキは作れるのか? オイスターバー最大手の挑戦
生ガキなどを提供するオイスターバーの市場が日本で急拡大しているのをご存じだろうか。過去5年間の平均成長率は11%を超える。そのけん引役として今年3月にマザーズ上場を果たしたのがヒューマンウェブだ。ただし、ここまでの道のりは決して楽なものではなかったという。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.