連載
“オヤジ”たちが今なおミニ四駆に熱狂する理由(6/6 ページ)
模型メーカーのタミヤがレーサーミニ四駆を発売してから30年。かつて社会現象となったミニ四駆が、今また盛り上がりを見せているのをご存じだろうか。タミヤの社員としてミニ四駆の誕生から携わり、「前ちゃん」という愛称でブームの火付け役としても尽力した前田靖幸氏がその舞台裏を語る。
一様で、等身大で、継続的な情報提供
タミヤではどの商品情報についても、あらゆる媒体に一様に提供し、一様に取材対応していた。特定の媒体に別途情報をリークするようなことは一切しなかった。
情報提供先の媒体の編集部とその担当の方々が面白くなるまでタミヤの素材を料理してもらえるよう、必要に応じて万全に協力するというスタンスを崩さなかった。やらせなし、画像エフェクトなしで、本当に水上や雪上を走らせたり、空に向けて飛ばしたり、実車を引っ張ったりした。とことん改造し、どれだけスピードが出せるかにチャレンジし、その取り組み結果がそのまま誌面にリアルに反映された。裏を返せば、ただそれだけのことだった。
編集部の方々としばしばガチで耐久レースの勝負をしたことも一例だ。そんな、大人が本気になっているさまを読者の子どもたちに等身大で伝えていけたことも、人気につながった要素の1つだと思う。
この成功した3つの要因について、より詳細なことを次回以降で触れていきたい。
【変更履歴】一部事実と異なる箇所があったため、記事初出時から変更しております。訂正してお詫び致します。(5/11 11:19)
関連記事
- ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由
任天堂が発売した家庭用ゲーム機「ファミコン」は、80年代を代表する社会的な大ブームを巻き起こしました。どのようにしてそのブームはでき上がっていったのでしょう? その裏側にあったものとは? 立役者の一人である高橋名人が語ります。 - なぜ「ビックリマン」は年間4億個を売り上げるまでのブームになったのか?
1980年代後半、日本中の子どもたちの間で爆発的なヒット商品となったのが「ビックリマンチョコ」だ。なぜビックリマンは年間4億個も売れるほど大ヒットしたのだろうか……? - 最初はまったく売れなかった明太子、どうやって福岡から全国区に?
日本で最初の明太子メーカーが、福岡市中洲に本社のあるふくやだ。創業すぐに明太子の販売を始めたが、実に10年間も鳴かず飛ばずだったという。そこからいかにして明太子は福岡の名産品にまで育ったのだろうか。 - 地ビールブームから一転、8年連続赤字で“地獄”を見たヤッホーブルーイング
現在、11年連続で増収増益、直近4年間の売り上げの伸びは前年比30〜40%増と、国内クラフトビール業界でダントツ1位に立つヤッホーブルーイング。しかしここまではいばらの道だった……。井手直行社長が自身の言葉で苦闘の日々を語る。 - “あたらない”カキは作れるのか? オイスターバー最大手の挑戦
生ガキなどを提供するオイスターバーの市場が日本で急拡大しているのをご存じだろうか。過去5年間の平均成長率は11%を超える。そのけん引役として今年3月にマザーズ上場を果たしたのがヒューマンウェブだ。ただし、ここまでの道のりは決して楽なものではなかったという。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.