どうやってWiiのコンセプトを広く伝えていったのか?:任天堂Wii 開発回顧録 〜岩田社長と歩んだ8年間〜(6/6 ページ)
「ゲーム人口の拡大」という任天堂・岩田社長の言葉の下で、徐々に「Wii」のコンセプトが形作られました。しかしそれは当時のゲーム市場においてあまりにも斬新だったため、そのコンセプトを社内、そして社外へと伝えていくのに悪戦苦闘したのです。
マリオやゼルダの生みの親である宮本茂さんは、岩田さん曰く「視点を動かす天才」であり、どんなに凝ったシステムでもユーザーの視点で「分からない」となれば、あっさりと消し去るという決断が可能な、稀有(けう)なデザイナーです。
その様子はしばしば「ちゃぶ台返し」と表現され、開発者の中では恐怖でもあり、ゲームを救う圧倒的なアイデアとして憧れられるものでもあります。この逸話からも分かるように、実は任天堂の最大のノウハウは、「おもしろいゲームを作ること」ではないのではと思うのです。「おもしろい」ではなく「分かる」こと、ユーザーに分かってもらえるかを第一に考えるということが、任天堂の最大のノウハウだと言い切っても良いのではないでしょうか。
すなわち、Wiiのコンセプトを伝えることは、ゲームのノウハウなくしては実現しなかった、ということです。
イノベーションを起こすためには、「イノベーションを伝える方法」がクリティカルパスとして存在しています。もしWiiがイノベーションを起こしたとするなら、それを影で支えていたのは、企画でも開発でもなく「伝えるノウハウ」だと言えますし、それは岩田さんをはじめとする先輩方がゲームというものを真剣に考え続けていてくれたからだと断言します。
次回は、コンセプトから仕様への流れについて、Wiiの具体的なアイデアはどのように生まれていったかについてを、個人的な体験と岩田さんの言葉を思い返しながらお話したいと思います。
著者プロフィール
玉樹真一郎(たまき しんいちろう)
わかる事務所 代表
1977年生まれ。東京工業大学・北陸先端科学技術大学院大学卒。プログラマーとして任天堂に就職後、プランナーに転身。全世界で1億台を出荷した「Wii」の企画担当として、最も初期のコンセプトワークから、ハードウェア・ソフトウェア・ネットワークサービスの企画・開発すべてに横断的に関わり「Wiiのエバンジェリスト(伝道師)」「Wiiのプレゼンを最も数多くした男」と呼ばれる。
2010年任天堂を退社。青森県八戸市にUターンして独立・起業。「わかる事務所」を設立。コンサルティング、ウェブサービスやアプリケーションの開発、講演やセミナー等を行いながら、人材育成・地域活性化にも取り組んでいる。
2011年5月より特定非営利活動法人プラットフォームあおもり理事。2014年4月より八戸学院大学ビジネス学部・特任教授。
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