高橋利幸が「高橋名人」になった日:高橋名人が語る(2/7 ページ)
ファミコンブームの訪れとともに誕生した「高橋名人」。ハドソンの宣伝部に所属する一社員がどのような経緯で名人へと生まれ変わったのでしょうか。当時の裏側のエピソードを交えて高橋名人が語ります。
ハドソンの第3弾ゲーム
前回書いたように、ハドソンは1984年7月に発売したファミコンソフト「ロードランナー」と「ナッツ&ミルク」で、大成功を収めました。
そこで、第3弾のゲームの発売を目指したわけです。いろいろな意見が出ましたが、ロードランナーが成功したのだから、同じブローダーバンド社の製品がいいのではないか、それならば、ロードランナーも入っている「バンゲリング帝国三部作」の残り2作のどちらかにしようということになり、「バンゲリングベイ」が選ばれたのです(もう1つの作品は「チョップリフター」)。
このゲームでプレイヤーが操るのはヘリコプターです。画面の上下左右へと飛ばすのには、そのまま十字ボタンの上下左右を押せばいいのですが、それでは画面を縦横無尽に飛ばすと不自然な動きになってしまいます。
そこで操縦をラジコンの操作と同じにしました。ヘリコプターが上に進むときには、右を押せば右に旋回します。しかし、下向き(ラジコンがこちらに向かっているとき)で右旋回させるには、左を押さなければいけません。
今でこそゲーム性が見直されていますが、当時はまだラジコンが高価であり、小学生では経験者が少なかったこともあって、バンゲリングベイの操作は難しく、その当時の評価は、残念ながら高くありませんでした。
予算ほぼゼロの中……
その次の4作目に控えていたのが「チャンピオンシップロードランナー」です。これはPC版ロードランナーにもあったエディットモードで、世界中のロードランナーフリークたちが作った、高難易度のステージ集です。
ロードランナー初心者であれば、まず解くことができないゲームでしたが、狙いがありました。ゲームがうまい人のプレイを見て、子どもたちが「自分もやってみたい」と感化されるのではということです。直前に発売したバンゲリング・ベイの人気が、それほど上がらなかったこともあり、2作品続けての失敗は絶対に避けなければならなかったのです。一か八かの勝負でした。
そこでハドソンとしては、実際にこのチャンピオンシップのゲーム画面を見た子どもたちの反応を知りたかったのです。ちょうどコロコロコミックも、「ゲームセンターあらし」や「ファミコンロッキー」という漫画が人気で、実際にファミコン画面を見ている子どもたちの顔を見てみたかったというので、85年3月下旬に開催されるまんがまつりでのファミコンステージが決定したのです。
この当時、ハドソンの宣伝部でファミコン担当は私一人だったため、そのステージは一任となりました。
通常の宣伝活動の場合では、予算をもらって、有名人に出演交渉を行い、ゲームを練習してもらって、イベントを開催するという段取りですが、私に一任されたときには、そのステージで使うゲームが「チャンピオンシップ」で、予算はほぼゼロということだけが決まっていました。
どのようにステージを企画すのかについては、私が決めなければなりません。また、予算もないので、誰かにお願いすることもできず、自分がステージに立つしか選択肢がないということも自覚しました(笑)。
関連記事
- ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由
任天堂が発売した家庭用ゲーム機「ファミコン」は、80年代を代表する社会的な大ブームを巻き起こしました。どのようにしてそのブームはでき上がっていったのでしょう? その裏側にあったものとは? 立役者の一人である高橋名人が語ります。 - 競合ゲーム機「PSP」の脅威が任天堂社内を変えた
「Wiiのプレゼンテーションを最も多く経験した男」。任天堂の岩田元社長からもそう評された玉樹さん。本連載では、Wiiの開発担当者として、いかに商品を生み出し、世に広めていったか、そのプロジェクトのリアルをお伝えします。 - “オヤジ”たちが今なおミニ四駆に熱狂する理由
模型メーカーのタミヤがレーサーミニ四駆を発売してから30年。かつて社会現象となったミニ四駆が、今また盛り上がりを見せているのをご存じだろうか。タミヤの社員としてミニ四駆の誕生から携わり、「前ちゃん」という愛称でブームの火付け役としても尽力した前田靖幸氏がその舞台裏を語る。 - なぜ「ビックリマン」は年間4億個を売り上げるまでのブームになったのか?
1980年代後半、日本中の子どもたちの間で爆発的なヒット商品となったのが「ビックリマンチョコ」だ。なぜビックリマンは年間4億個も売れるほど大ヒットしたのだろうか……? - 地ビールブームから一転、8年連続赤字で“地獄”を見たヤッホーブルーイング
現在、11年連続で増収増益、直近4年間の売り上げの伸びは前年比30〜40%増と、国内クラフトビール業界でダントツ1位に立つヤッホーブルーイング。しかしここまではいばらの道だった……。井手直行社長が自身の言葉で苦闘の日々を語る。 - 紅白歌合戦で39度の高熱、この失敗が仕事の意識を変えた
20年以上もプロとしてステージに立ち続けてきたMAXのLINAさん。さまざまな仕事の中で経験したこと、学んだことなどをこの新連載でビジネスパーソンに伝えていきます。 - 激戦ラーメン市場、それでも「一風堂」が選ばれ続ける理由
31年前に福岡で創業したラーメンチェーン「一風堂」の成長が止まらない。国内外で出店攻勢をかけているのだ。1年間で約3600ものラーメン屋が閉店に追い込まれる激戦市場において、なぜ一風堂は顧客に選ばれ続けているのだろうか。 - 元千葉ロッテ・里崎さん「僕がビックリマンPR大使になった理由」
ロングセラーのお菓子商品「ビックリマンチョコ」をもっと世の中に広めるため、2年前にビックリマン終身名誉PR大使に就任したのが、プロ野球・千葉ロッテマリーンズで活躍した里崎智也さんだ。里崎さんとビックリマンのかかわりとは? また里崎さんが選ぶビックリマンベストナインとは?
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.