長く売れ続ける「定番」を狙う デザイナー・小関隆一氏のモノ作り哲学とは?:「全力疾走」という病(6/7 ページ)
ワインボトルの形をしたLED照明「Bottled」や、ペン型のはがせる水性塗料「マスキングカラー」など、ユニークな日本の技術をうまく組み合わせた商品をデザイン。これらは国内外で売れ続けている。その仕掛け人、デザイナーの小関隆一氏の生き方を追った。
定番を狙う
もう1つ、売り上げが少しでも深刻に悩むほどではなかった理由に、ある案件が少しずつ進んでいたからだった。
毎年6月初頭に「Interior Lifestyle Tokyo」というイベントが開催されていて、小関はそれまでは仕事で訪れていた。独立後すぐの2011年は初めて純粋な客としての参加だった。
その会場で出会ったのが、後に小関の出世作につながる「Bottled」を共同開発したアンビエンテックという照明メーカーだった。当時、同社は英国製のソーラーバッテリーの輸入販売代理店を務めていたかたわら、本業で水中撮影用カメラの防水ケースを作っていた。その撮影用にLEDなども開発しており、モバイル型の照明を作りたいという思いがあった。イベントブースでその試作品を展示していたのである。
小関がブースに立ち寄り、担当者と立ち話をしていると、どうやらこの試作品を商品化に向けてデザインできる人間を探しているという。そこで小関が「僕はデザイナーですが、すごくおもしろそうなので興味あります」と伝えると、とんとん拍子に話は進み、結果的に共同で商品開発することになった。これが今のところ唯一の営業活動かもしれないと小関は振り返る。
「最初の1年間の売り上げは少ないけど、モノ作りは一応進んでいたので、あきらめる感じではありませんでした。今足を止めてはいけないから踏ん張ろうと。だからアルバイトを始めたわけです」
試作品から商品として形になったBottledは、翌2012年のInterior Lifestyle Tokyoで発表した。おりしも震災後の節電機運が高まっていた中、LED照明が注目を集めており、テレビ東京のビジネスニュース「ワールドビジネスサテライト(WBS)」などで取り上げられたため、すぐに多くの問い合わせが来たという。
発売後はじわじわと売れていき、今では日本にあるCASSINAの店舗や海外のインテリアショップなどでも置いてもらうようになり、好調なペースで販売を伸ばしている。売れた理由について小関は「定番を取りにいったから」と自信を持って答える。
「この商品は技術が立っているので、逆にデザインを立たせすぎては駄目なんです。だから僕は定番を狙いました。仮にこれがものすごく不思議な形をしていて、オブジェクトとしておもしろいと言う商品だったら、恐らく今ごろは飽きられ始めていると思うんですよ」
定番のデザインとはどういうことか。
「テーブルに置いて会話していても邪魔にならないものを目指しました。また、モバイル照明というのは多くの人が使い慣れてないので、見てすぐに使い方が分からないといけません。さらにモバイルの最大の特徴は手に持てることだから、最終的に瓶の形がふさわしいなと思いました。ストーリー的にも瓶というのはテーブルに置いて邪魔にならないもの。特別な形をしていないから飽きもしません」
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