「価格破壊者」だった大塚家具がニトリに敗れた理由:どこで差がついた?(1/4 ページ)
創業当初の大塚家具が業界の「価格破壊者」だったことをご存じだろうか。その姿はかつてのニトリと重なる。同じようなビジネスモデルから出発したのにどうして両社の業績には差が出たのだろうか。
特集「数字で納得! あの企業が“負けた”理由」:
なぜあの企業は競合他社と差がついてしまったのか。知っているようで意外に知らない戦略の違いを「会社の数字」を用いながら比較する。
企業の勝ち負けは業績だけで判別できない。ある数字に注目することで、意外なところで明暗が分かれたケースも本特集で紹介する。
家具チェーンで勝ち負けに明確な差がついた大塚家具とニトリ。ニトリを運営するニトリホールディングスは2018年度2月期決算で、31期連続増収増益を達成した。一方、大塚家具は17年12月期単独決算で最終損益が72億円の赤字だった。
大塚家具は店員が丁寧な接客で高級家具を販売するというイメージが強いが、創業時は家具業界の価格破壊者だった。その姿はかつてのニトリと重なるが、いったいどこで大きな差がついてしまったのだろうか。
安売りからスタートした大塚家具
大塚家具の創業者である大塚勝久氏(現・匠大塚代表取締役会長)は1969年に家具やインテリアを販売する「大塚家具センター」を設立した。大塚家具のWebサイトには「創業当時から、問屋などの中間業者を介さずに、直接取引できる工場を開拓。大規模な倉庫を持って大量に仕入れをすることで、『最も競争力のある価格』での販売を実現しました」とある。
楽天証券経済研究所長の窪田真之氏は創業当初の大塚家具のビジネスモデルをこう説明する。
「当時、家具は『原則国内産』『手作り』で高価格だった。卸しを通じて仕入れた家具店やデパートで買うのが普通の時代に、大塚家具は価格破壊を起こした。郊外の大型店舗に、メーカーから直接買い付けた家具を並べて安売りする戦略で成長したが、顧客を奪われた家具流通業界からは、怨嗟の声が上がった」
大塚家具は順調に成長を続け、80年に株式を公開した。92年から会員制度を導入して、ショールームで丁寧に接客するスタイルを定着させた。90年代後半から高級家具も数多く取り扱うようになり、「大塚家具=高級家具が中心」というイメージが広まった。このビジネスモデルには合理性があった。国土交通省の調査によると、91年の新設住宅着工戸数は約140万戸、96年には約160万戸まで増加した。家具のまとめ買い需要とともに大塚家具は成長した。
関連記事
- 大塚親子は誰と、そして何を闘っているのか
今や完全に別路線を歩もうとしている2人の経営者が率いる別々の「大塚」は、実は競合すらしていない。 - イケアはアマゾンに勝つことができるのか
世界最大の家具ブランド「IKEA(イケア)」が岐路に立たされている。業績は伸ばし続けているが、時代の波に飲み込まれそうになっているのだ。どういうことかというと……。 - 6畳弱の狭い物件に、住みたい人が殺到している理由
6畳弱の狭い物件が人気を集めていることをご存じだろうか。物件名は「QUQURI(ククリ)」。運営をしているピリタスの社長に、その理由を聞いたところ……。 - 米国は没落したのに日本トイザらスが積極出店に転じた理由
米トイザらスが米国の全店舗を閉鎖したのに日本トイザらスは積極出店に転じる。ネット通販や量販店とどのように差別化をしているのだろうか。 - 売り場を減らしたのに、なぜ崎陽軒のシウマイはバカ売れしているのか
東京や新横浜で新幹線に乗ると、車内でビールを飲みながら「シウマイ」を食べているサラリーマンをよく目にする。崎陽軒の「シウマイ弁当」だ。駅弁市場は縮小しているのに、なぜシウマイ弁当は売れているのか。その理由を、同社の担当者に聞いたところ……。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.