「価格破壊者」だった大塚家具がニトリに敗れた理由:どこで差がついた?(2/4 ページ)
創業当初の大塚家具が業界の「価格破壊者」だったことをご存じだろうか。その姿はかつてのニトリと重なる。同じようなビジネスモデルから出発したのにどうして両社の業績には差が出たのだろうか。
安売りからスタートしたニトリ
ニトリは、67年に「似鳥家具店」としてスタート。72年に「似鳥家具卸センター株式会社」を設立。当時の状況を、創業者である似鳥昭雄氏(現・ニトリホールディングス代表取締役会長)は自著『運は創るもの ―私の履歴書』(日本経済新聞出版社)で次のように説明している。
「もともと安売りのイメージを出すためだけに『卸センター』を掲げていた(中略)。きちんとした名前でまっとうな商売にしようと思い、『詐欺』のような看板を下ろした」
当時は、倒産品を仕入れて安く売る業態だったという。しかし、その後は「海外商品の直輸入」「家具メーカーの実質子会社化」「海外自社工場の稼働」と着実に製造小売業としての地歩を固めていった。
大塚家具のビジネスモデルに陰りが出てきたのは2000年代後半からだ。新設住宅着工戸数が減少するにつれ、国産家具と輸入家具の市場が縮小し続けた。住宅の新築にあわせた家具のまとめ買い需要は減少し、消費者は家具を必要なときに必要なだけ購入するようになった。そのニーズをとらえたのがイケアやニトリだった。窪田氏は潮目の変化をこう解説する。
「かつて『安かろう悪かろう』だった中国製などの家具の品質が向上してきた。価格も手ごろなので『家具はニトリやイケアで十分』と考える消費者が増えてきた」
家具市場は「高品質で高価格」と「品質がそこそこで低価格」に二極化した。高価格帯の需要はそれほどあるわけではない、
もう1つの変化は、「トータルコーディネート」という考え方が登場したことだ。ソファー、テーブル、本棚などまとめて部屋づくりを提案するというスタイルだ。イケアやニトリは手ごろな価格で部屋作りを提案し、それが受け入れられていった。地方ではなく、都市部に住む住民が増えた結果、手狭な住宅では高級な大型家具ではなく、コンパクトな家具が支持された。
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