「社員を管理しない、評価しない」 個人と会社の幸せを追求した社長が心に決めたこと:これも新しい働き方(3/5 ページ)
「ワーク・ライフ・バランス」ではなく「ワーク・アズ・ライフ」。こうした言葉を語る人たちが増えている。TAMという会社は、社員のワーク・アズ・ライフを「仕組みで」可能にしている。社長にその本質を聞いた。
――評価制度がなくても組織として本当にうまくいきますか? サボったり、自分勝手に振舞ったりする社員は出てこないんでしょうか?
ありませんね。TAMのプロジェクトは複数人で取り組むことが多いので、サボったり、いい加減なことをしていると、次第に「プロジェクトに参加して」とお声が掛からなくなる。だからそういうサボるような人は自然と淘汰(とうた)されていくんです。
まあ、サボりたかったらサボればいいし。それがその人の人生にはね返ってくるだけなんで。僕自身はあまりそういうネガティブな目線で皆を見たことがないですけど。
優秀な社員の挑戦を涙で送り出す
TAMにはもうひとつ、「キャリアミーティング」という制度があります。こちらもメンバー全員が年に1回、自分のキャリアについてリーダーと話し合います。今の働き方を50歳まで続けたらどうなるか。自分の強みは何か、弱みは何か。なりたい理想の自分とは……こうしたことを通常、2年から5年かけて突き詰めていき、自分のキャリアは自分で作ってくださいと言っているんです。
でも、これをやると毎回、何人かの社員が会社を辞めてしまうので、我々にとっては厳しい仕組みでもあるんですよ(苦笑)。辞める理由は「大学院に戻って勉強します」とか、「違う会社に行って挑戦したい」とか、人それぞれですが。その理由が筋の通ったものであれば、涙を流しつつも、拍手で見送ってきました。
――優秀な社員が抜けるのは会社にとって大きな痛手ですよね? どうしてわざわざそれを促すような制度を設けているのですか?
だって、社員の人生は彼ら、彼女らの人生であって、僕の人生ちゃうし。一人一人が好きなようにやることが、その人の未来を作るんだといつも思うんです。
創業当時に決めたTAMの理念は「勝手に幸せになりなはれ」。これは26年間、まったく変わっていません。
その根底には、会社なんていつつぶれるのか分からないんだから、という思いがあります。会社に頼るのはやめてくださいよ、ということです。
僕は独立した直後にバブルが崩壊したので、当時は毎日の風呂代もなかったんです。1年くらいは嫁さんにどうにか食わせてもらって、なんとか耐え凌ぐような状況でした。でも、そんな時でも社員が2、3人はいて、その後5人、10人と少しずつ増えていって。「ついてきてくれるこの人たちを幸せにできないなら、会社をやる意味なんてないなあ」って思いました。
けれども、会社が彼らを幸せにすることなんてできないんですよ。だって、会社の未来なんか誰にも分からないんだから。彼らが幸せになるには、皆が勝手に幸せになってくれるしかないんです。そう考えたら、会社が彼らを管理したり、評価したりなんてできるはずがない。
だから、会社はあくまで彼らが成長できる「場」を用意するところ。彼らがそこにいる間に「生きる力を鍛える場」だと思っていて。創業して2、3年経ったころ、そうはっきりと気付きました。
――社員一人一人の人生を考えたら素晴らしい理念だなと思うんですけど、それで営利組織としての会社が成り立ちますか?
いや、もちろん会社としては大変ですよ。長く働いてくれていて、抜けてもらったら困るというような人が卒業してしまうこともある。そういう穴を埋めるには、新しく2〜3人は入ってもらわないと成り立たないし、引き継ぎだってあるから、それはもう……。
でも、その大変ってことが、裏を返せば新陳代謝でもあるんです。めちゃくちゃ大変だけど、その大変さを乗り越えること自体が組織の成長なんですよ。
実際、このやり方をずっと続けていて、26年間一度も赤字になってないですからね。六本木ヒルズに住んだことなんかありませんから、商売人の才能はそんなになかったのかもしれないですけど(笑)。僕にとってはそれが自然なことなんですよ。
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