衰退している熱海になぜ観光客が増えているのか:かつてのイメージは「セレブな街」(1/4 ページ)
いま熱海に観光客が戻り始めている。一時はピーク時の半数まで観光客数が減少していたという。行政としてどのような取り組みをしてきたのか、熱海市の齊藤栄市長に話を聞いた。
平成のV字回復劇場:
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連載第1回:衰退している熱海になぜ観光客が増えているのか
いま熱海に観光客が戻り始めている。2011年には東日本大震災の影響などもあり熱海を訪れた観光客数は年間247万人と、ピーク時の半数まで減少した。だが、12年以降の観光客数は増加基調となっており、足元では310万人近くまで回復しているという。
一度は衰退したと思われた熱海だが、なぜいま観光客を呼び戻すことができたのか。行政としてどのような取り組みをしてきたのか、熱海市の齊藤栄市長に話を聞いた。
かつては「セレブな街」のイメージだった……
「熱海」と言えば、かつては団体旅行や新婚旅行の行き先として、人気を博した日本屈指の温泉観光地だった。観光客数がピークとなったのは1969年。年間532万人に上る観光客が熱海を訪れ、街は平日でも大いににぎわっていたという。
だがその後、観光客数は減少に転じ、歯止めのかからない状態に。旅館やホテルは次々と閉鎖に追い込まれ、気付けば「昔、流行っていた観光地」「おじさんたちが行く場所」といったレッテルを貼られるまでになっていた。
観光客が熱海から離れていってしまった要因について、齊藤市長はこう話す。
「戦前までさかのぼってみると、熱海は政財界の要人や著名人などが別荘を構えたり、静養する場所として人気があったり、『セレブな街』というイメージがありました。その流れをくみ、戦後の復興を機に金銭的に余裕の出てきた一般市民が『国内旅行をしたい』と思った時に、選択肢の上位に熱海が挙がるようになって、特に何もしなくても人が熱海に集まるようになっていたのだと思います。そのため、たいした集客ノウハウのない熱海市は、日本経済の低迷や団体旅行需要の減少といった状況の変化に、対応しきれなかったのではないでしょうか」
観光業の停滞は地元経済にとって大打撃。当然、熱海市がこれまで何も策を講じていなかったわけではない。1886年に開園した熱海梅園の古木を3年かけ整理しリニューアル。熱海市の中心部を流れる糸川沿いの糸川遊歩道には桜や梅を植え、景観を整えるなど観光客を意識した街の整備にも注力してきた。
だが、期待していた結果はそう簡単には得れず、今までになかった街の魅力を引き出そうと画策し続けている間にも、観光客はどんどん減っていった。
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