埋没気味だった「喜多方ラーメン坂内」が逆襲を開始 あっさり味が国内外で支持されそうな理由:長浜淳之介のトレンドアンテナ(4/6 ページ)
1990年のピーク時には89店を展開していた「喜多方ラーメン坂内」。最近は埋没気味だったが、米国に進出したり、国内の店舗数を増やしたりしている。「あっさり味」が武器になる理由とは。
朝からラーメンを食べる“朝ラー”の習慣
喜多方ラーメンが生まれたのは、大正末期から昭和初期。この頃、中国の浙江省から加納鉱山で働いていた親類を頼って、藩欣星という青年が来日。しかし、この頃には鉱山の銀や銅は採り尽くされており、将来が見えなかった。そこで藩氏は屋台を引いて、手もみの縮れ麺で支那そばをつくって売った。この支那そばが評判となり、やがて「源来軒」という中華料理店を構えた。
源来軒をあべ食堂に代わって御三家に入れる人もいるが、ラーメンファンの間では一般に源来軒は“レジェンド”で、別格とされているようだ。
源来軒は多くの弟子たちにラーメンづくりのノウハウを教えた。終戦直後には独立した弟子たちの店に、源来軒風の麺を製造販売する製麺所も登場。弟子でない人も製麺所の麺を使って店を出し、ラーメンが市民に定着していった。
ところで、喜多方には朝からラーメンを食べる“朝ラー”の習慣がある。これは昭和電工やNTT(当時電電公社)で働く夜勤明けの労働者が、帰り際に食べたことから広まったという説が有力だ。
一方、1970年頃から酒蔵や店蔵を壊して駐車場などにする動きに危機感を持った地元有志の保存運動が始まった。72年には地元の金田写真館が蔵をテーマにした写真展を、喜多方ばかりでなく会津若松や東京でも開催。その写真展がNHK郡山放送局のディレクターの目にとまった。75年にテレビ番組の「新日本紀行」が“蔵のまち喜多方”を取り上げた。この反響は大きく、一躍多くのメディアで取り上げられるようになった。
すると、年間5万人が観光に来るようになった。市役所が観光客に対して喜多方で何を食べているのかをヒアリングしたところ、「食堂のラーメンがおいしい」という声が多かった。そこで市役所が旅行雑誌「るるぶ」のページを買い取り、83年7月号にて喜多方のラーメンの特集記事を掲載した。この記事の反響も絶大だった。蔵とラーメンの相乗効果で、同年の観光客数は20万人に達した。
87年には「蔵のまち喜多方・老麺会」が結成され、市内の蔵巡りとラーメン店巡りのマップが完成。93年に観光客は100万人を突破した。
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