「週休3日」「副業容認」は各社各様 “柔軟な働き方”を手放しで喜べないワケ:見逃してはいけない「3つの変化」とは?(4/5 ページ)
新型コロナを受けて大手企業でも「週休3日制」や「副業容認」が進む。これまでもいくつかの企業はこうした働き方を柔軟にする制度を導入してきたが、個々の会社によって運用方式は違う。それぞれの違いを見逃さないために抑えておくべき、「3つの変化」とは。
これらの企業では、変形労働時間制を用いた1日10時間勤務が前提で、週4日勤務すると40時間となり、8時間×5日働いた場合と同じ労働時間になるケースが多いからです。そのため、週休3日(週4日勤務)でありながら、週5日のフルタイム勤務と同等の給与が支払われます。残業割り増しが発生しづらい点などを除けば、必ずしも人件費削減につながる施策とはいえません。
みずほ銀のケースは……
一方、冒頭で取り上げたみずほ銀行の場合は、コロナ禍を経験している中での施策であり様相が異なります。働く日数に応じて基本給が変動するからです。週5日フルタイム勤務した場合の給与を100%とすると、週休3日(週4日勤務)なら80%、週休4日(週3日勤務)なら60%と、勤務日数に応じて減少する仕組みです。
働き手として給与は減少しますが、その分、休日が増えて労働時間も減少することで、より柔軟に時間を使うことができるようになります。その時間でうまくやりくりできる副業があれば、収入を補填することもできるでしょう。一方、企業側は週休3日にする分の人件費を削減することができます。
働き方のバリエーションが増えることで、そこには新たな選択肢が生まれます。例えば仕事と家庭を両立させようとした場合、雇用形態を変更してパート職に切り替えたり、無理してフルタイム勤務を続けた揚げ句、退職することになったりと、不本意な思いをした人はたくさんいるはずです。そこに、週休3日制や副業という選択肢が示されれば、続けられなかったものが続けられるようになるかもしれません。
合理的、だけど……
その観点から捉えると、週休3日制や副業促進は合理的な施策です。企業は基本的に経済的合理性にもとづいて施策を打ちます。それは良い/悪いといった話ではなく、企業本来の性質だと言えます。しかし気を付けなければならないのは、経済的合理性が必ずしも働き手にとっての合理性と合致するとは限らない点です。
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