組織にはびこる“森喜朗”的価値観 女性は「よそ者」であり続けるのか:河合薫の「社会を蝕む“ジジイの壁”」(3/4 ページ)
「女性がいる会議が長い」という発言は森喜朗氏に限らず、日本企業で度々耳にする。忖度で動く「タテ社会」の組織にとって、自由に発言する女性は“よそ者”。多数派が権力を行使するために排除する。この構造を変えるためには「数の力」が必要不可欠だ。
多数派が権力を持つための「よそ者」排除
「排除されていない者は包括されている」――。
これは、社会学に大きな影響を与えたドイツ出身のゲオルク・ジンメル博士の名言ですが、博士は「構成人員の割合によってその集団の性質が変わる」と、数の重要性を指摘しました。
ジンメル博士自身が「ユダヤ人である」という理由で、ベルリン大学の教授になれなかったのは社会学史上有名な話ですが、その「排除」と戦い続けたジンメル博士の理論の一つに、「よそ者と放浪者」という定義があります。
放浪者は「今日訪れ明日去り行く者」であるのに対し、よそ者は「今日訪れて明日もとどまる者」。私たちは「旅行客(放浪者)」にはとても親切にするが、その人が同じ土地で暮らすようになると「よそ者」扱いし、態度を豹変させます。
「よそ者は集団そのものの要素であり、貧者(社会的弱者)や多様な『内部の敵』――その集団における内在的な部分的な地位が、同時に集団の外部と集団の対立を含んでいる――と異なることではない」(『社会学―社会化の諸形式についての研究』ゲオルク・ジンメル)
よそ者とは「集団の内部に存在する外部」です。男性が多数を占める組織では、少数派の女性は常に「よそ者」です。内集団である多数派(男性)のメンバーは、自分たちの地位の高さの見せしめに「よそ者(女性)」を差別し、排除します。「よそ者」はある意味、多数派が権力を振るう装置として機能してしまうのです。
しかも悲しいかな、よそ者が女性の場合、無能呼ばわりされがちです。今回の森氏の「女性っていうのは競争意識が強い」という発言からも、女性を見下していることが見え隠れします。
数年前に、大学の医学部の入試試験で女子の合格者数を抑えようとする得点操作が問題になったことを覚えていますか?
大学側は陳謝こそしましたが、納得できる理由の説明はありませんでした。「緊急の手術が多く勤務体系が不規則な外科では、女性医師は敬遠されがち」「結婚や出産でやめてしまうから」「育児で緊急時対応できないから」「だから女性ではなく男性」というのは言い訳でしかない。
とどのつまり「女性医師」の存在そのものへの嫌悪感が「入口から排除しよう」と点数削減という動きにつながったのです。
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