名古屋の人たちに愛される「ういろ」に 安い土産品からの脱却:地域経済の底力(1/4 ページ)
きしめん、ひつまぶし、味噌煮込みうどんなどとともに、ういろが名古屋名物であることに疑問を持つ人はそういないだろう。名古屋市に本社を構える大須ういろの村山英里副社長は、いかにして同社の意識を変えてきたのか。
「以前の私のような人間がターゲットだと思っています。名古屋出身なのに、ういろをほとんど食べたことがなく、どんなものなのかもよく分かってない人。そういう方々たちに『おいしいね』と言わせたい」
こう意気込むのは、名古屋市に本社を構える大須ういろの村山英里副社長。現在社長を務める村山賢祐氏の妻でもある。
かつては東京の友人に「ういろを買ってきて」と頼まれても、「味噌(みそ)煮込みうどんのほうがいいんじゃない?」と勧めていた。いざ購入することになっても、どこの店のものを選んだのか覚えていないほど、ういろに対して興味がなかった。
それが今ではういろを多くの人に届けたいと躍起になっているから人生は面白い。
「地元にとっては、お土産としては有名だよね、でもあまり食べたことないよねというお菓子なんです。それが売れるとは思えません。だから大須ういろをお土産物屋ではなく、きちんとした和菓子屋に戻したい。そうすれば、名古屋の人たちも目を向けてくれると思うのです」
英里さんは7年前に入社して、事業改革に着手。前回の記事「1日600箱以上売れる「ウイロバー」 ヒットを生んだ老舗・大須ういろの危機感」で紹介した通り、売れるういろ商品を作り出してきた。こうした背景にあるのは、ういろという菓子の価値向上にほかならない。1947年創業の老舗メーカーの思いを取材した。
ネタにされていたういろ
きしめん、ひつまぶし、味噌煮込みうどんなどとともに、ういろが名古屋名物であることに疑問を持つ人はそういないだろう。
名古屋のういろの元祖といわれているのは、1659年創業の餅文総本店。ういろを菓子として一般に売り出したのも同社が全国で先駆けである。その後、名古屋でういろを製造・販売する会社が増えていき、東海道新幹線の開通によって一気に名古屋の名産品として広まった。
昔は名古屋の人たちも日常的に食べていて、土産としても老若男女問わず買っていたういろだったが、時代とともにマーケットは変化した。現在では、地元客は以前ほど多くはなく、土産として売れるのもシニア層の客が大半。総じて若い人たちにとっては関心の薄い商品になっていた。
「改革を始めたときに、名古屋のういろをエゴサーチをしました。すると、『エビフリャー』じゃないけど、小馬鹿にされているようなコメントが多かったです」と英里さんは振り返る。
さらに調査をしていくと、そもそも、ういろがどんなものなのかを知らない消費者も少なくなかった。ちなみに、ういろは米粉と砂糖を使った蒸し菓子。似た形状のものにようかんがあるが、ようかんは小豆などを原料にした餡(あん)を寒天で固めた菓子である。
ういろはネタにされるような土産品ではなく、正当な和菓子である――。それをきちんと伝えていかないと、状況は何も変わらないと英里さんは痛感した。
「もちろん、歴史があり、いろいろなことが積み重なっている商品ではありますが、いま一度きちんと体制を整えないと、このままでは続かないと思いました」
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