2015年7月27日以前の記事
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東京の通勤電車は「鉄道150年」で、どう変わったのか「守り」と「攻め」(4/4 ページ)

鉄道開業から150年。常在戦場(じょうざいせんじょう)ともいえる状況の首都圏の鉄道は、どのような「守り」と「攻め」の戦略を取ってきたのか。

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国鉄・営団の民営化へ

 87年に国鉄が分割民営化され、首都圏の通勤輸送はJR東日本が担うことになった。また、帝都高速度交通営団は2004年に民営化し、東京メトロとなる。これにより、「攻め」の戦略をやりやすくなった。

 JR東日本の山手線では6扉車の連結や、10両から11両への編成増といった対策ができるようになった。長距離通勤客向けに、東北本線・高崎線や常磐線にもグリーン車を連結するようにした。大きく「攻め」に出たのだ。

 その上で、JR東日本の通勤電車を大きく変えたのは、「Suica」である。SuicaはJR東日本の歴史の中で、最も優れた成果だといえる。Suicaを中心に鉄道システムを変えていったことは、私鉄や東京メトロなどにも波及し、「PASMO」を生み出した。


東京メトロは民営化により、多角化経営をしやすくなった(写真はイメージ、出典:ゲッティイメージズ)

 コロナ禍で鉄道各社は本数減など「守り」の戦略を取りがちになっている。しかし、アフターコロナでは再び「攻め」の戦略を取るべき時が来るはずだ。長年蓄えてきたさまざまな戦略を、東京の通勤輸送を担う各事業者は「鉄道150年」にあたって振り返っておく必要がある。

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