コミュ力、センス、アート思考……ビジネスパーソンを追い詰める「能力主義」の罠とは:生きづらさの正体(4/5 ページ)
書店を見渡すと「〇〇力」とタイトルに付く本の多さに驚かされる。社会人が学ぶべき「コミュニケーション力」「人間力」「リーダーシップ力」――。“能力本”であふれるほどの状況の中、異彩を放つ本が昨年末、全国の書店に並んだ。タイトルは『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)。仕事ができないのは能力が低いから。センスがないのは自己研鑽が足りないから――。著者で組織開発コンサルタントの勅使川原真衣(てしがわら・まい)さんは、そんな個人の能力に責任を負わせる「能力主義」の広がりに疑問を投げかける。
ガンになって気付いたこと
勅使川原さんは2020年6月、当時38歳のとき、乳ガンと診断された。腫瘍の大きさは5センチを超え、脇のリンパ節には18個もの転移が見つかった。胸の違和感は3年ほど前からあったが、仕事の忙しさや健康診断でも問題視されなかったことから、発見が遅れたという。
幼い子ども2人を育てる母親として、将来への不安は尽きなかった。一方で、ガンになってほっとした気持ちもあったと明かす。
「これでやっと休めると思いました。それまでは、誰よりも活躍したいとか、成功しているように見られたいという思いが強く、失敗や不幸から逃げ惑って生きてきた感覚があったからです。ガンになり『これでおしまいだ』ではなく、『もう逃げ惑わなくてよくなったんだ』と思いました」
それまでは土日もほぼ休みなく働き、当時2歳だった長男が靴ひもを結ぼうとすることさえも待ってあげられないほど仕事に追われていたと振り返る勅使川原さん。子どもたちが社会人になったとき、能力主義がはびこる社会であってほしくない――。そんな思いが執筆を後押しした。
ガンになって、ほかにも気付きがあった。「能力論と同じで、人生は短いより長い方がいいとか、小さいより大きい方がいい、弱いより強い方がいいといった二項対立が世の中にはたくさんあります。でも本当にそうだろうかと感じました」
勅使川原さんは、能力論は将来「健康」に行き着くのではないかと予想する。「ウェルビーイング」「健康経営」といった言葉が近年盛んに登場するが、「病気を患っている人からすれば、健康じゃなければダメなの? と思ってしまう」と勅使川原さんは話す。今回の著書は「元気なほうがいいに決まっている」という世の中の価値観に対する問題提起でもあるという。
組織開発コンサルタントとして活躍する勅使川原さんだが、大学院を卒業後はさまざまな紆余曲折があったと明かす。1社目の市場調査会社を辞めた後は、精神科医を志し、医学部の学士編入試験を受けたことがある。結果はいずれも不合格だった。
「行き当たりばったりで、人生の戦略なんてありません(笑)。成功者は本当にきれいな道筋を語りますが、実際はどう転ぶかなんて分かりません」
昨今の能力主義の広がりは、そんな人生の道筋を描くことさえ、無駄なく最適なコースを歩むように戦略的思考力の養成を求めるほどの勢いを見せる。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
女性社員が茶くみや菓子配り 「ジェンダー格差」の背景にひそむ日本社会の「同調圧力」とは?
女性社員にのみ朝晩の掃除をさせる。飲み会で上司の空いたグラスに気付かないと「女子力がない」と評価される――。2020年代の日本に存在する、職場のジェンダー格差のほんの一例だ。性別による仕事の押し付け、不当な評価。誰もが「おかしい」と感じているのに状況が一向に改善されないのは、一体なぜなのか。背景を探ると、日本社会に特有の「同調圧力」の正体が浮かび上がる。
学生の「内定辞退」阻止を狙う“後付け推薦”の実態とは? 立教大が企業に苦言
「内定がほしければ大学の推薦状を提出してください」。就職活動の選考プロセスが進んだ段階で、学生が企業から「推薦状」の提出を求められるケースが近年、増えているという。推薦状を提出させることで学生の内定辞退を阻止する狙いがあると考えられ、専門家は「学生を無理に束縛するような採用手法は自社の評判を下げるだけ」だと指摘する。
すかいらーく、新業態を相次ぎオープン 「ネコ型ロボット」をこれまで以上にフル稼働させるワケ
すかいらーくホールディングス(HD)がポストコロナを見据え、積極的な新ブランド展開に乗り出している。1月に生そばや丼物の新業態「八郎そば」、2月には飲茶専門店「桃菜(とうさい)」をオープンした。すかいらーくといえば、ネコ型ロボットが料理を運ぶ光景が定番となったが、新業態の桃菜では、バーミヤンやガストなどの既存業態以上に、ネコ型ロボットの活用を見込んでいるという。一体なぜなのか。
スシロー、はま寿司、資さんうどん――飲食チェーンを脅かす迷惑行為はなぜ続発するのか
大手回転寿司チェーンに端を発した利用客の迷惑行為は、うどんチェーンの他さまざまな飲食企業でも明るみに出ており、飲食業界全体の問題へと発展している。飲食チェーンを脅かす迷惑行為はなぜ続発するのか。
回転寿司の「迷惑行為」なぜ起きる? 専門家が指摘する「機械化の弊害」とは
回転寿司チェーンで、利用客による悪質ないたずらが相次ぎ発覚している。はま寿司では、レーンで運ばれている寿司にわさびをのせる動画がSNSで拡散。くら寿司では、一度取った寿司を再びレーンに戻す行為が発覚した。こうした迷惑行為はなぜ起きるのか。専門家は、回転寿司チェーン各社が進めてきたオペレーションの簡略化に一因があると指摘する。

