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関東大震災復興のため東京に地下鉄網をつくれ 100年前の構想図見つかる:杉山淳一の「週刊鉄道経済」(2/5 ページ)
東京・日比谷の「後藤・安田記念東京都市研究所」で、100年前の地下鉄整備検討資料が見つかった。9月22日まで、同研究所がある市政会館で展示されている。今回は、この資料などをもとに「東京の地下鉄年表」を作成し、複数の計画案を「現在の地図上に路線図」として描いてみた。
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東京の地下鉄年表
枝久保達也著『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(青弓社)などをもとに時系列を整理しよう。時系列にある各図とともに、詳細を後述する。
1888年(明治21年)東京市区改正委員会で「市内鉄道はロンドンの地下鉄道またはニューヨークの高架鉄道」が適すると報告される。せっかく道路を整備しても、鉄道が踏切で遮断しては交通の妨げになる。地下鉄はすぐに実現しなかったけれども、東京市内の新規鉄道路線は原則として立体交差となった。
- 1906年12月:福沢諭吉の娘婿、福沢桃介らが東京地下電気鉄道を設立
- 1906年12月:高輪〜浅草間、銀座〜新宿間の免許を政府に出願
- 1913年:東京市会は東京地下電気鉄道の不許可を答申、政府は免許を与えず
- 1914年:早川徳次がロンドンの地下鉄を視察
- 1916年9月:早川徳次がグラスゴー、パリ、ニューヨークの地下鉄を視察
- 1917年5月:内務省は東京市内外交通調査会を設置
- 1917年7月:早川徳次が東京軽便地下鉄道を発起、地下鉄建設の免許を政府に出願
- 1917年12月:東京市は「将来、市が買収するときは拒否しない」などの条件で許可を答申
- 1918年11月:武蔵電気鉄道(後の東急電鉄につながる)中目黒〜有楽町間の地下鉄免許を申請
- 1919年1月:東京高速鉄道(後の小田急電鉄につながる、後藤慶太が設立した地下鉄路線とは別会社)が日比谷公園〜渋谷・新宿・池袋・上野を結ぶ地下鉄路線を免許申請
- 1919年2月:東京鉄道(三井財閥系)が他社5路線を網羅する免許を申請
- 1919年6月:東京市内外交通調査会か調査書をとりまとめ
- 1919年6月:地下鉄道と高架鉄道を組み合わせた5路線を提言
- 1919年9月:東京市が経営するとして7路線の計画を立案
- 1919年12月:鉄道院は東京軽便地下鉄道に免許を下付
- 1920年:東京軽便地下鉄道は東京地下鉄道に組織変更
- 1920年:鉄道院はこの年までに武蔵電気鉄道、東京高速鉄道、東京鉄道にも免許交付
- 1920年1月:市区改正条例に基づく最初の地下鉄整備計画が告示される(図A)
- 1923年9月:関東大震災
- 1923年11月上旬:東京市が地下鉄計画「第1号図」を作成し後藤新平に送る(図B)
- 1923年11月上旬:東京市が地下鉄計画「第2号図」を作成し後藤新平に送る(図C)
- 1923年11月下旬:東京市が地下鉄計画「第3号図」を作成し後藤新平に送る(図D)
- 1924年:武蔵電気鉄道、東京高速鉄道、東京鉄道が期限切れで免許失効
- 1924年4月:東京市が市営地下鉄計画を立案、12月に市会で可決
- 1925年1月:東京市が鉄道省に6路線の高速鉄道建設計画を出願
- 1925年3月:復興事業を考慮して5路線が決定(図E)
- 1927年12月:東京地下鉄道が浅草〜上野間を開業
- 1934年6月:東京地下鉄道が新橋に到達
- 1934年9月:五島慶太による東京高速鉄道設立
- 1938年11月:東京高速鉄道が青山6丁目(現・表参道)〜虎ノ門間で開業
- 1938年12月:東京高速鉄道が渋谷〜青山6丁目を開通
- 1939年1月:東京高速鉄道が虎ノ門〜新橋間を開通
- 1939年9月:東京地下鉄道と東京高速鉄道が直通運転、現在の東京メトロ銀座線が完成
この歴史の中で、1920年に東京市が立案した7路線と、1925年に決定した5路線は「東京告示」として資料が残っている。新たに発見された資料は1919年の計画と1925年の計画の間に提案されたものだ。復興計画に採用されず、後藤新平が設立した東京市政調査会(現・後藤・安田記念東京都市研究所)に保管されていた。後藤新平が関わる資料のうち、個人的な品物は後藤新平記念館(奥州市水沢)に譲ったけれども、この政策資料に関しては後藤・安田記念東京都市研究所に残された。もともと秘密扱いだったこともあり、表に出ることもなかったのだろう。
前置きが長くなったけれども、さっそく路線図を見ていこう。
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