伊藤忠「フレックス制をやめて朝型勤務に」 それから10年で起きた変化:【中編】徹底リサーチ! 伊藤忠商事の人的資本経営(2/2 ページ)
2013年にフレックス制度を廃止し、朝型勤務制度や朝食の無料提供の取り組みを始めた伊藤忠商事。それから約10年が経過したが、どのような変化が起きているのか。
前例に乏しかった「フレックス制度の廃止」 なぜ朝型勤務にシフトしたのか
奈良: お取り組みの中で特にお聞きしたいのが、先ほど(前編)も話に上がった「朝型勤務制度」と「労働生産性をKPIにおいている」点です。まずは、朝型勤務制度からうかがってもよいでしょうか。
岩田: 朝型勤務制度は、午後8〜10時の勤務を原則禁止、また午後10時以降に関しては禁止し、仕事が残っている場合は「翌朝勤務」へシフトさせる制度です。翌朝勤務(午前5〜9時)に対するインセンティブを付与し、深夜勤務と同様の割増賃金支給や、午前8時前に始業社員にDoleやファミリーマート商品などの朝型軽食を無料配布しています。
奈良: どういった経緯で導入されたのでしょうか?
岩田: 13年から導入した制度ではありますが、きっかけは11年に発生した東日本大震災です。当時、われわれはフレックスタイムを全社で導入していまして、コアタイムが10時からでした。
若手従業員は午前9時や10時に出社をしていたのですが、未曾有の大危機の中で、中小企業の顧客も朝早くから活動をされていて、多くの方が被災されてお困りの中、当社は午前9時から10時に出社するような会社でいいのかと。なにか意識を変える必要があるのではないかと。このような背景がありました。
そこで、まず着手したのがフレックスタイム制度の廃止だったんです。
奈良: フレックスタイムの導入は聞いても廃止は聞いたことがないかもしれません。導入したフレックスタイム制度を廃止するのは結構難しいように思えます。
岩田: そうなんです。フレックスタイム制度を廃止するという企業を調べていたのですがほとんどなくて。廃止にあたり、はじめは管理職に率先して取り組んでもらいました。
しかし、長くフレックスタイムで勤務してきた従業員の理解を得るのがなかなか難しくて。従業員の反発の声もありましたが、最終的には13年にフレックスタイム制度を廃止しました。
奈良: やはり一筋縄ではいきませんよね。
岩田: はい。廃止においてはトライアル期間も設けて、さまざまな工夫を考えました。一つは単純に残業を減らす。これはどこの企業でもやっていることではあるのですが。
また、インセンティブがないと、人間ってなかなか行動を変えられないと思うんです。そのため、朝に来るメリットを考えようとなりましたし、夜に仕事をさせないよう期限を設けようとも考えました。その一つの区切りを午後8時にしました。
もし、午後8時以降にどうしても働く必要があれば翌朝早くに来てやってくださいと。非常にシンプルでそれだけなんです。
基本は朝早く来てね。朝早く来たらメリットがその代わりありますよと。午後8時以降の残業を原則禁止、午後10時以降を禁止してます。代わりに、朝の5時から9時まで、早く来ても深夜に時給が高くなるのと同じ状態にしましょう。要は多く払うと。朝早く来てやった方が得だという風に。
奈良: インセンティブを付けることで、従業員の行動変容を促したんですね。
岩田: はい。給与だけではなく、朝は午前6時30分から8時までに出社すれば、ファミリーマートで提供しているサンドイッチなどの商品を無償で3品まで提供するというインセンティブも付けました。
これにはいろいろなメリットがあります。朝食をちゃんと摂るようになりますよね。当然健康になる。
そして、早く仕事が終わるので、早い時間に帰宅できたり友達に会えたり、百貨店を回って市場調査をするといったことも可能にしました。むしろ、ずっと会社にいるのはおかしい、それを変えないといけないという思いがありました。
例えば、夜に飲みに行きたいけど、まだ先輩が仕事をしているから帰れないというような日本ならではのしがらみもあって。早く帰りたいけど、帰ったら人事評価が悪くなるから残業しようかな、なんていうことも。
また、ご飯を食べてまた仕事をするという文化もあったのですが、今は正直なくなったと思っています。
奈良: 従業員の行動変容や企業文化の変革を促しながら生産性を高められてきたのですね。朝型勤務導入前後で比較した時の効果はいかがでしょうか。
岩田: 午後8時以降の退館に関しては、12年の制度導入前は30%ほどでしたが、現在は8%まで減少しました。また、午前8時以前の入館は20%から54%に増加し、順調に進みました。
残業時間が結果的に減ってきているということで電気代が安くなり、タクシー代が減るなどいろいろ副次的な効果があって、諸経費が減っているんですね。経済的な効果があるし予定が立てやすいという効果もありました。こういった事も一つの工夫かなと思います。
奈良: 大きな効果ですね。また、朝型勤務の副次的な効果として、社内の出生率が向上したとうかがいました。
社内出生率は働き方の環境をあらわすユニークな指標だと思うのですが、開示背景について教えていただけないでしょうか。
岩田: もともと、社内出生率はわれわれ自身が毎年測定をしていたわけではなくて。当社の産業医から、当社の出生率を計算してみたところ意外と高いというお話をいただいたのがきっかけです。
2010年くらいまでは、東京都を下回る出生率でしたが、今は1.9に近い数値です。理由は一概には言えませんが、朝型勤務の導入が一因だとは思っています。
一見関係がなさそうなんですけども、朝早くきて夕方早く帰るという行動は帰る時の後ろめたさも軽減されますし、柔軟な働き方も含めて働く選択肢を増やすので、一つの要素としてあるのかなと。
企業からすると従業員が少ない中、少しでも長く働いていただける環境を作れたら、従業員のキャリア断絶期間を短縮し、離職防止になるので。こういったことが結果的に出生率につながっているのだと思います。
3月27日(水)掲載の次回記事では、KPIを労働生産性とする伊藤忠商事の覚悟や今後の展望について取り上げる。
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