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ドクターイエローはなぜ生まれ、消えていくのか杉山淳一の「週刊鉄道経済」(2/6 ページ)

「幸せの黄色い新幹線」こと、ドクターイエローが引退する。JR東海とJR西日本の発表によると理由は老朽化。そして今後は新しいドクターイエローはつくらず、営業車両N700Sで計測を実施するという。そこでドクターイエローの誕生から引退までを振り返り、営業車両での計測について考えてみたい。

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ドクターイエローの誕生

 東海道新幹線は今年、開業60周年を迎えた。黄色い試験車の登場は開業の2年前にさかのぼる。初代の軌道検測車は921形で2両がつくられ、1両単位で使われた。車端部に運転台があったけれど、これは車両基地などの入れ替え用で最高速度は時速23キロメートルだった。検測時は保線用のディーゼル機関車にけん引された。計測時の最高速度は時速160キロメートルだ。

 東海道新幹線の開業時に、0系に似た“ダンゴ鼻”の試験車「922形」が投入された。東海道新幹線の試作車だった1000形を改造した4両編成で、電気検測と信号通信系の試験を担当した。これがのちに「T1編成」と呼ばれた。1973年に「T2編成」として922形10番台が投入された。0系をベースに初めから試験車としてつくられた。7両編成で、軌道検測と電気信号系の両方を測定できる。ドクターイエローの元祖といえる。

 1975年に山陽新幹線の博多開業により走行距離が増えた。検査区間も増えたわけで、T2編成を増備する形で「T3編成」こと、922形20番台が1979年に投入された。0系の1000番台をベースにしたため、窓が小さくなっている。この先頭車はリニア・鉄道館で展示されている。


ドクターイエロー922形「T3編成」の先頭車(2011年にリニア・鉄道館にて、許可を得て筆者撮影)

 JR東海の報道資料によると、JR東海保有の「T4編成」は2001年に製造された。JR西日本保有の「T5編成」は2005年に製造された。どちらも形式は923形という。外見は「カモノハシ」の愛称があった700系に似ているけれど、伝統的に900番の形式名が付いている。


923形「T4編成」。引退報道の翌日、6月14日にドクターイエローの走行予定があり、JR東海の計らいで急きょ報道撮影会が行われた(東京駅にて筆者撮影)

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