白鬚神社・高麗神社――東武東上線沿線から探る、日本に残された“異国”の地名ミステリー(2/4 ページ)
2025年で100周年を迎える東武東上線。その沿線に広がる「鶴ヶ島」「白鬚神社」「高麗神社」──地味なローカル地名に見えるこれらは、実は朝鮮半島から亡命した王族の痕跡だった。古代日本における多文化形成の核心を、地名と鉄道から読み解く。
埼玉と神奈川に共通する地名の謎
ここで言う神奈川県の白鬚神社とは、伊勢原市の日向(ひなた)薬師の参道入口付近にまつられている地元の小さな神社、別名・日向神社である。また、「高倉」の地名は伊勢原市域のすぐ東側に「高座(こうざ)郡」というエリアがあるが、この「高座」=「高倉」なのだ。
「高座」と「高倉」では全然違うと思うかもしれないが、平安時代中期に成立した『和名類聚抄』は、この地を「太加久良(たかくら)」と表記している。また、『日本書紀』には「高倉郡」とある。これが後に「高座(たかくら)」と変化し、やがて近世になって「こうざ」と読まれるようになったのだ。
ちなみに「高倉」という地名は、朝鮮半島の古代王朝・高句麗と縁が深い。高句麗王族の子孫とされ、従三位という高位まで上った官僚である高倉福信(たかくら の ふくしん、709〜789年)が、高麗朝臣から高倉朝臣へ改称しているように、高倉(タカクラ=コウクラ)は元々、高麗(高句麗=コウクリ)なのだ(高倉は「深い谷」や「豪族の倉」に由来するとの説もある)。
では、遠く離れた埼玉と神奈川に、ともに「白鬚神社」と「高倉」が存在する意味とは何なのか。ここでポイントとなるのが、「白鬚神社の髭は、誰のものか?」である。これについて伊勢原市の文化財課が発行している『いせはら 史跡と文化財のまち』という冊子には、次のように記されている。
「日向薬師の旧参道入口には、日向の鎮守日向神社がある。御神体は『白鬚明神』と呼ばれる神で、長いあごひげをたくわえ、異国の冠をつけた木像の姿でまつられている。
天智7年(六六八)、朝鮮半島北部にあった高句麗は唐に滅ぼされ、高麗王若光(じゃっこう)に率いられた一団は海を渡って日本へと亡命、大磯の浜に上陸し、唐ヶ原(大磯町と平塚市にこの名が残っている)に居住した。当時、渡来した人々は高い文化をもっていたので、このあたりには早くから高度な大陸文化がひらけることとなった。この高麗王若光こそが白鬚明神である」
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