「1個80円のフックが売れるか」と一蹴された町工場の逆転劇 友安製作所が考える「勝てる製造業」の条件(1/3 ページ)
一度はものづくりをやめた町工場が、世界的デザイン賞を受賞。その裏には「作る力」と「売る力」を融合させた、製造業の新たな勝ち筋があった。
多くの工場が集まる大阪府八尾市に、異色の歴史を持つ町工場がある。それが友安製作所だ。
かつて従業員がわずか5人にまで縮小した同社は、3代目の友安啓則代表取締役CEOのもと、一時は自社でのものづくりから事実上撤退。輸入インテリアのEC事業へとかじを切ってV字回復を果たし、そののちに製造業を再開した。
再開からわずか数年で、同社が展開する掃除道具シリーズ「BRUSHUP」は「iF デザインアワード 2025」で最高賞の金賞を受賞した。iFデザインアワードは工業デザインを対象とした国際デザインコンペティション。2025年は世界から約1万1000件の応募が集まり、その中で金賞に選ばれたのは75件のみだった。
「同時に受賞したのはiPhone16やフェラーリなど。名だたる企業が並ぶ中で『Tomoyasu seisakusyo JAPAN』と呼ばれて――本当にすごいことだと思いました」と友安社長。
一度「作る」ことをやめた企業が、なぜ再び現場に戻り、世界的なデザイン賞を獲得するまでに成長できたのか。
「日本のものづくりはすごい。でも、売り方が分かっていない。だからこそ『売る力』を持つ製造業が最強だと思っています」
そう話す友安社長が見いだした「勝てる製造業」の反撃シナリオとは。
80円のカーテンフックなんて売れない 危機に直面した町工場の決断
現在、友安製作所では「EC事業」「カフェ事業」「工務店事業」「メディア事業」「レンタルスペース事業」「まちづくり事業」の6つを主軸に事業を展開している(参考記事:一時は“倒産寸前”だったのに――元ネジ製造の町工場で、1人の採用枠に「350人」が殺到する理由)。
この多角化経営の原点には、会社の存続すら危ぶまれた時代があった。
高度経済成長期、洋間の普及とともに金属製カーテンフックで業績を伸ばした同社だったが、安価なプラスチック製フックの台頭により需要は激減。友安社長が留学先から戻り、家業を承継した当時、経営は限界状態だった。
現状を打破すべく、友安社長は新商品の開発を試みる。布を挟むだけでカーテンにできる、デザイン性にも優れたクリップ式カーテンフック「アートフック」だ。意気揚々と従来の取引先である問屋へ売り込みに回ったが、そこで突きつけられたのは厳しい現実だった。
「『お父さん(先代)が売っているフックがいくらか知ってる? 80銭だよ。1本80円もする高価なカーテンフックが売れるわけがないだろう』と言われました。従来の販売ルートに頼る道は閉ざされました」と友安社長は当時を振り返る。
自社商品が売れないのであれば、売れるものを探してくるしかない。友安社長は自身の英語力と使われなくなった工場の空きスペースを活用し、海外からおしゃれなインテリア商材を輸入してEC事業をスタートさせた。
この事業転換により、業績は回復。同社はWebデザイナーやエンジニア、動画クリエイターなどを採用し、コンテンツ制作や発信を通じて「売る力」を蓄積していった。
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