市場とコモンズSFC OPEN RESEARCH FORUM 2004レポート

「SFC OPEN RESEARCH FORUM 2004」において、内閣府特命担当大臣の竹中平蔵氏とSFC政策・メディア研究科教授の金子郁容氏の対論が行われた。コーディネーターはSFC総合政策学部講師の玉村雅敏氏が務め、教育問題について積極的な討議が行われた。

» 2004年11月24日 21時39分 公開
[井津元由比古,ITmedia]

 今最も注目を集めている大臣、竹中平蔵氏を迎えて行われた今回の対論。金子氏と竹中氏は旧知の仲らしく、金子氏が「大臣室でアンパンを食べるのが趣味という噂があるが」と聞くと、竹中氏は「噂は本当。大臣室にはアンパンとのど飴、そして阪神タイガースのユニフォームが置いてある」と応じる。すると金子氏はすかさず、「最近(竹中氏の)顔がアンパンに似てきたようだ」と会場の笑いを誘う。こんななごやかなムードで対論が始まった。

竹中平蔵氏

 こうして始まった対論では、ITの話は全くといっていいほど出なかった。まずコミュニティスクール(地域社会学校:地域社会と学校の結びつきを重視する考え方)を推進する金子氏が、それを実現した好例として足立区の五反野小学校を紹介するビデオを見せてくれた。そして、教育における行政の規制がいかに多いかを示し、コミュニティの中での信頼感=コモンズがなければいけないと主張。規制の厳しい分野において規制を撤廃することで、活性化が起きるとし、まずは教育からコモンズを考えてみようと話した。

SFC政策・メディア研究科教授の金子郁容氏

 これを受けて竹中氏は、日本には官民・公私という優れた区分が存在すると語り、日本ではコモンズを公的なメカニズムとしてきたために、この部分を官=公が独占したと問題提起した。そして、今政府が進めている改革は「出すぎた官を引っ込める」ためのものだという。その中で教育は、公的な財である一方で、私的な財でもあるという。

 「慶応大学で学んでいる学生は、生涯の所得を多くしたいから勉強しているわけだ。これは私的な財であり、教育が高度になればなるほどそうした傾向は強まる」(竹中氏)

voiceとexit

 現在、三位一体の改革が進んでいるが、これは補助金の削減・税源の地方への委譲・地方交付税の削減の3つを一気にやろうという取り組みだ。当然ながら、予算を握っている官僚、および補助金に口聞きする議員の抵抗は強く、義務教育にかかわる予算はその象徴的存在としてクローズアップされている。

 竹中氏は、これに直接ふれず、米国の政治経済学者A.O.ハーシュマンのexit-voice(退出と抗議の)理論を持ち出してきた。

 たとえば、味が落ちてまずくなった定食屋があったとすると、voice(文句を言う)とexit(行くのをやめる)という2つの選択肢がある。これを企業・組織は常にウォッチしておかなければならず、一方、世の中が良くなっていくためにはこれらの2つが常にあることが必要という考え方だ。

 なお、今回の対論では共通認識としてなのだろうか、特に語られなかったが、ハーシュマンが面白いのは、政府・公的機関がこれを軽視しやすい、と30年以上も前に指摘していることだ。体質は変わっていない。

 さて、教育の話に戻ると、教育にはexitのないケースが多い。竹中氏は、「究極的にはexitがある方がいい。新規参入もありだ。そうしたバランスを作っていくことも必要なのでは」と提案した。

教育基本法は憲法違反

 ここで加藤氏が飛び入りし、教育の義務について、面白い切り口で主張した。今回の対論者の中で、最も話が面白かったのがこの人だ。たとえ話がうまく、聴衆を飽きさせない。まず、下の囲みを見てほしい。

・「教育基本法」1947年3月31日
 注目ポイント:
 第6条(学校教育)法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
・「日本国憲法」1946年11月3日(図2
 注目ポイント:
 第3章 国民の権利及び義務:
 第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。:
 2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。:

 加藤氏の主張するポイントは明確だ。憲法に書かれている教育の義務は、親が教育を受けさせる義務である。一方、教育基本法は、「文部省(当時)が勝手に憲法違反して作った」ものであり、「本来はだれが教育してもいい。憲法の精神が生きていれば、金子先生がこんなに苦労することはなかった」という。

 そして、“権益を守りたい”文部科学省をやり玉に上げ、三位一体というキリスト強用語を使わずに、三方一両損(大岡越前の名裁き)の改革と言うべきだった、と話す。そして、コモンズ=共通の場所、みんなが納得できる場所としての教育が求められると締めた。

まとめ

 今回の対論は、コモンズという定義しにくい言葉を中心に進んだ。これは、社会が共有する資源や価値観、情報であり、今後どうあるべきかという共通認識も含めた言葉なのだが、ここにvoiceとexitが加わって議論が進んだ。

 こうした対論の場合、「結論」は求められないもの。だから、特に結論はなかったのだが、考えるベースを提供してくれる場としては最高の対論になったのではないだろうか。立ち見も出るほどだった会場で、参加者は一様に満足そうな顔をして帰路についた。

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