GPLが理想的で利他的だって? 実際のところ、同意しなければ最新のサービスパックを入手させないといった、あまりに屈従的な順守には皆さんもウンザリしているのではないか?
注釈:GPL(GNU General Public License)を好きになる理由はたくさんある。まず、ダビデとゴリアテのように、小さい者が巨人に立ち向かっているからだ。政府への法的その他の影響力にものをいわせてわたしたちの日常生活を踏みにじる、巨大企業に対抗している。それから、倫理的に正しいからだ。例えれば、貪欲な製薬業界に公的資金をつぎ込むよりも、よりよい医療サービスを高齢者にもたらすメディケア保険料のようなものだ。
また、テリトリーの問題でもある。「侵入禁止」をソフトウェアにあてはめたようなものだ。GPLは、常にフリーで進歩を続けるソフトウェアインフラストラクチャのための法的な枠組みである。さらには、リーナスが、これを順守する者に制作物を使用可能にするよう、Linuxのために選んだライセンスである。だが、GPLについてわたしが好きなところは、Microsoftその他の企業の略奪者たちがGPLを嫌う理由と同じで、効果がある、ということだ。
GNU/FSFのWebサイトで説明されているとおり、"フリーソフトウェア"の定義は、以下の4つの自由を包含している。これらの自由のどれも、ビールの値段とは関係ない。
なかには「パブリックドメインにあるソフトウェア、BSD式ライセンスのようなオープンソース・ライセンスで保護されているソフトウェアにも同じ自由がある」と思う人もいるだろう。確かにそのとおりだ。だが、パブリックドメインのソフトウェアや、BSD式ライセンスで保護されているソフトウェアでは、次のユーザー、次の次のユーザー、そのまた次のユーザーにも同じ自由を保証してはいない。
GPLでは、GPLソフトウェアを入手して再頒布する場合に必ず同じ条件でリリースするという要件によって、こうした自由を自己継続させる。これは、軽蔑的な意味を込めて"ウイルス的性質"と呼ばれることもある。なんと呼ばれようと、この特徴こそが、4つの自由を保護するものなのである。これこそが、リーナス、そして多くのフリーソフトウェア作者たちにとって、自分のソフトウェアに必要な保護をもたらすものなのである。
例えば、Microsoftは、BSDライセンスが適用されていたTCP/IPスタックを、パブリックから奪って自社のプロプライエタリ製品ラインに飲み込んだ。そうして、元はパブリックのものだったものをパブリックに対して売ったのである。もちろん合法的に。BSD式のライセンスでは、こうした行為を防ぐことはできない。
MicrosoftはKerberosでも同じことをしたが、こっちはもっと悪い。MicrosoftバージョンのKerberosを、Microsoftのサーバでしか動作しないようにしたのだ。パブリックの圧力により、Microsoftはこのけちなプロプライエタリ海賊版のドキュメントを提供することを余儀なくされたが、このドキュメントにも限定的なライセンスを付けて、フリーソフトウェアで使用できないようにした。
これもまたパブリックソフトウェアに対する海賊行為だ。ビル・ゲイツ氏の私財を増やすために盗まれたのだ。だが、合法的盗難である。KerberosのMITライセンスでは、こうした行為を防ぐことはできなかった。
わたしがGPLを好きなのは、Linuxなどのすばらしいソフトウェアを実際のソフトウェア侵害行為から守るからである。
次ページでは、GPLにまつわるさまざまな嘘がどのようにして生まれてくるのかを暴いてみせよう。
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