GPLが好きな理由(2/2 ページ)

» 2005年03月16日 11時05分 公開
[Joe-Barr,japan.linux.com]
SourceForge.JP Magazine
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どれくらいうまく機能するか

 Linuxカーネルは、GPLソフトウェアの看板的存在だ。Linuxカーネルは小さなOSに成長し、ぶんぶん飛べるハチになり、インターネットでつながった若者たちが歴史上最高傑作のOSを作るという信じがたいことが現実になった。こうしたことは皆、少なくとも部分的にはGPLのおかげで起きたことだ。

 Linuxの成功の理由はいくつかあるが、その最大の理由は、ほかのどのプラットフォームにもない無類の開発者コミュニティーにある。彼らはカリスマリーダーによってLinuxに引き込まれたのか? もちろんそういう者もいるだろう。わたしの考えでは、リーナス・トーバルズの最もすばらしい才能はコードの中ではなく、何人もの才能あるプログラマーたちが公益のために共同作業できる環境を作ったところにある。だが、リーナスもひそかな本心ではギークであり、心温かく親しみやすいとは思われていないタイプに属していることを忘れてはならない。

 ライセンスが最大の理由でありうるか? 多くの人にとって答えはイエスだ。GPLはよく理想的で利他的だといわれる。もし、カーネル開発者たちがコードだけに関心があったのだったら、Linuxではなく、BSDが巨大な開発団を持つことになったのではないか? それこそ、頑固なBSD支持者に常々聞かされていることだ。技術的にはBSDの方が優れていると。

 だが、開発者たちはコードだけに関心があるのではない。GPLはLinuxコミュニティーにとって魔法の接着剤となる。人の役に立つことをする快感、それが使われる限りずっと人の役に立ち続けると分かる快感をもたらす。それがどういうことか分からない人には、GPLまたはLinuxに関する限り、おそらくこれから先も分からないだろう。

 GPLは、Linuxカーネルだけでなくほかにも多くのものに適用されている。統計を見てみよう。Freshmeat.netには、50以上の各種ライセンスが適用される約36000個のプロジェクトのリストがある。特定のライセンスごとのパーセンテージを示すページでは、これらのうち、68%以上のプロジェクトにGPLが適用されていることが分かる。2位は何か。GPLの姉妹ライセンスともいえるGNU Lesser GPLで、6%近い。3位は、3.57%のオリジナルBSDライセンスだ。GPLは、オープンソースやフリーソフトウェアで最も人気の高いライセンスだというだけでなく、圧倒的大多数に選ばれているのである。

GPLについての嘘はなぜ?

 ゲイツ氏とバルマー氏は、ことあるごとにGPLを攻撃している。彼らが、昔ながらのファシスト的秘密活動においてGPLやLinuxをコミュニスト的とののしったという話もめずらしくない。そんな2人を誰が責めることができようか。彼らは、たまたま――ほとんど彼らの功績に負うところなく――世紀最大となったテクノロジーにおいて独占状態を得たために、手探りで思いがけない巨富を手にした。今、彼らの人生は、その独占状態をあらゆる挑戦者から守ることにささげられている。

 この点においても、彼らはよくやってはいる。独占禁止関連の訴訟で勝ったこともあれば、裏取引で勝ったこともある。だが、いくつかの優れた技術ソリューション、例えば、DR DOSやOS/2などは、Microsoftの独占にほとんど跡を残すことなく、現れては消えていった。

 だが、Linuxは、Microsoftが大好きな、ひざを割ったり、空気を止めたり、刺したりするようなほとんどのやり方に免疫がある。Linuxは、企業でも個人でもないから買収できない。多くはMicrosoftの態度に辟易している人間で成り立っているコミュニティーだ。ギークは役に立つ物を好み、パフォーマンス、セキュリティ、信頼性、入手可能性について内容のないことを言い立てるからっぽな人間を軽蔑する。そしてLinuxは、TCP/IPスタックやKerberosとは違い、GPLで保護されている。

 Microsoftが"Get the facts(事実を知ろう)"キャンペーンと銘打って、このサイトやほかの主要なLinuxサイトで流そうとしている偽りに満ちた宣伝のことはご存知だろう。Microsoftができるのはせいぜいこれぐらいで、そればかりか、これがLinuxに対抗するキャンペーンでできる最大限でもある。これまでのコメントでの反応から判断する限り、これでMicrosoftに転向する者はいないようだ。

代わりに攻撃されるストールマン氏

 GPLはソフトウェア用のライセンスだ。言葉であり、文章であり、条項であり、法的文書である。リチャード・ストールマン氏は人間だ。頭脳明晰で、頑固で、妥協しない。GPLへの多くの攻撃は、リチャード・ストールマン氏を追うという間接的な方法で行われている。ライセンスそのものは攻撃しにくいが、ストールマン氏なら攻撃しやすいというそれだけの理由でだ。

 この二者を分けて考えなければ、GPLの評価は、そのときのストールマン氏との折り合い方次第で上がりもすれば下がりもするだろう。通りかかるだけで、そこにいる者を2つの敵対勢力に分断できる人物なのだから。わたしはストールマン氏のことは非常に高く評価しているが、いつでも賛同するというわけではない。GPLが好きでストールマン氏が嫌いでもまったく問題はない。両者は別のことだ。

結論

 わたしがGPLを好きな理由は、世界一の金持ちの1人(ひいては世界一力を持つ人物という人もいるだろう)を、Linuxとそのユーザーベースの急成長を前に無力にしたことにある。

 そして、Linuxその他のフリーソフトウェアが存在したから、わたしは、独占企業がカスタマーに課す有害な契約条件から解放された。企業によってすぐに変更されるようなライセンス条件から解放された。同意しなければ最新のサービスパックを入手させないといった、あまりに屈従的な順守を強いるやり方から解放された。そうしたサービスパックには、毎日毎分見つかっては調べられる大きなセキュリティホールの山のような修正が含まれている。

 この独占企業は、GPLが与えてくれる避難路を憎んでいる。だから絶えずGPLを攻撃しているのだ。こうした攻撃は間違いなく続く。合法的なものもあれば、まったくばかげたものもあるだろう。Microsoftの関与が明白である場合――SCOへの金銭的援助のように――もあれば、そうでない場合もあるだろう。だが、そういったことは関係ない。GPLは勝つ。だからこそ、わたしはGPLが一層好きなのである。

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