ビル・ゲイツ氏、貧困層のコンピュータ購入に100ドルや200ドルでなく、600ドル超の出費をコメンタリー(1/2 ページ)

ビル・ゲイツ氏が100ドルPCを冷笑した態度に私は憤慨した。ラップトップコンピュータをより多数の人々の手に渡すことの意義を考えてみたい。

» 2006年03月23日 13時46分 公開
[Robin-'Roblimo'-Miller,japan.linux.com]

 これは私がでっち上げたガセネタではない。私もこのニュースをReutersの記事の中に見つけたところであり、今回ビル・ゲイツ氏は、Linuxを搭載する手動発電式の極簡易型100ドルラップトップコンピュータをこき下ろし、Microsoftがスポンサーとなっている“ウルトラ・モバイル・コンピュータ”を後押ししたというものだが、こちらの価格は599ドルから999ドルにもなると予想されている。私もほかの多くの人々と同様、100ドルのウルトラ・ベーシック・ラップトップを貧しい子どもたちに提供したところで、この世の問題が解決されるだろうかと疑問を持ってはいるが、ゲイツ氏の態度には憤慨させられた。私自身も“100ドルマシン”が1台欲しいし、たとえ実際の価格が200ドルから300ドルになったとしても、それは変わらないだろう。

 このようなマシンは、移動中の原稿執筆に使える小型の簡易ポータブルコンピュータとして、私が長年求めていたものであった。つまり、大きな画面が使えること、無駄な機能が過剰装飾された携帯電話やPDAよりも使いやすいこと、本格的なラップトップよりも小さい(そして安い)こと、という要件を満たしたコンピュータだ。そしてネットワーク接続は私にとって必需品であるから、ビルトインの無線または有線による直接接続か、あるいはケーブル経由による携帯電話への接続ができれば、なおさら結構である。

 私が見た100ドルラップトップは、素晴らしいスペックを備えていた。500MHzのプロセッサと128MバイトのRAMに加えて500Mバイトのフラッシュメモリを搭載というのは、原稿執筆と記事のアップロードや静止画を扱うには、十分すぎるくらいの機能だ。これはまた、全世界の大部分の子どもたちにとっても十二分な機能ではないだろうか。

極貧困層以外のターゲット

 世界の基準からすれば、まず間違いなく私は貧困者だとは見なされないだろう。私は単に、低価格で機能が絞られたウルトラ・ポータブル・コンピュータが気に入っているだけだ。そして考えさせられるのは、私が心動かされたようなコンピュータは、貧困層に属さないほかの多くの人々も満足させるものだろうということであり、ブラジルやベトナムなどの国々における通常の労働者階級などは、米国人の水準から見れば貧困層なのかもしれないが、これら多くの家庭にも喜びと知識がもたらされるだろうということは、わざわざ言及するまでもない。一方で私はCNNの記事にある、世界の最極貧層にとっては、清潔な水や最低限の医療を提供することの方が、これらの子どもにラップトップコンピュータを手渡すことよりも有益である、という意見にもある程度同意している。

 世界には、ポータブルコンピュータを買うために100ドルや200ドルくらいはかき集めることはできるが、600ドルや1,000ドルもする代物にはとても手が出せない、という人々が多く存在している。より具体的には、乗用車を運転する代わりにスクーターにまたがっている発展途上国の人たちをイメージすればいいだろう。こうした人々に、安価なLinux搭載ラップトップを買うのはダメで、高価なMicrosoft版を持たなくてはならないと言うのは、スクーターを買うのはダメで、自家用車を購入できるようになるまで待たなくてはならない、と命じるのと同じことである。そしてこうした自家用車というのは、必要最小限の機能だけを備えた自動車ではなく、エアコンとオートマチックミッションをはじめ、豪華な内装やプッシュボタン式の電動ウインドウが装備された代物なのだ。

 ビル・ゲイツ氏にとって100ドルと600ドルの差などは、気づきもしないようなささいな金額なのかもしれない。そして泥レンガの小屋に住んで明日の食事を心配している家庭にとっては、ラップトップがわずか100ドルで買えようが、600ドルしようが、いずれにせよ手の届かない代物に変わりないだろう。そしてわれわれのほとんどは、これら2つの両極端の間に位置しているのである。

 この“われわれのほとんど”というのは、メキシコ・シティーのタクシードライバーであり、ドバイの建設労働者であり、そして毎日の食事代や電気代には困らないものの、働かなくても食っていけるほどの資産を持っていない世の中の大部分の人間のことである。

 実は、こうした泥レンガ小屋を住居としていないわれわれこそが、激安簡易型ラップトップの購入層なのである。また、泥レンガ小屋の住人に誰か親戚がいて、その人が近くの都会に引っ越した結果そこそこの収入を得られるようになったのであれば、この親戚も購入者層の1人となり得るだろう。あるいは極貧困層の住む村であっても、小さな店の経営者で副業でワイヤレス電話を販売して小金を貯めた者がいれば、こうした激安簡易型ラップトップを購入し、レンタル電話サービスと同様の時間単位や分単位の課金システムで、近所のより貧しい人々にレンタルするかもしれない。

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