中国の競争力を支えるハングリー精神、アルパインは製品開発もパワーシフト(1/2 ページ)

日本のITエンジニアが自身の将来像を描けない中、それを尻目に中国が競争力を増している。今回は、中国東北部の瀋陽と大連を訪ね、中国最大のソフトウェア開発グループ、Neusoftを取材した。

» 2006年11月22日 08時00分 公開
[浅井英二,ITmedia]

 ここへきて金融分野を中心に需要が急拡大している日本のソフトウェア業界だが、いまだ「3K」のレッテルを払拭できないし、「35歳限界説」が幅を利かせる。日本のITエンジニアが自身の将来像を描けない中、それを尻目に中国のソフトウェア開発会社が競争力を増している。先ごろ、米商務省の技術担当責任者も、中国の研究施設や教育機関への投資の多さに「度肝を抜かれた」とするとともに、米国のIT業界の人材不足に危機感を表明している。

 ITmediaエンタープライズではこれまでにも、ITエンジニアのキャリアパスモデルを提案するマイクロソフトやアイ・ティ・イノベーションの取り組みを紹介してきたが、今回は、中国東北部の主要都市である瀋陽や大連を訪ね、中国最大のソフトウェア開発グループ、Neusoft(東軟集団)やアルパインのR&Dセンターを取材した。

 「ひとことで言えば、中国のエンジニアにはハングリー精神がある。日本の戦後と同じ。努力しなければ何も得られない」── 中国のソフトウェア開発会社の強みをそう話すのはNeusoftの創設者兼CEO、劉積仁だ。

弱冠33歳で東北大学教授となり、米国留学も経験した劉氏。米国国家技術標準局(NIST)で研究活動するうちに、Neusoft設立の構想が膨らんだという。今も東北大学の副学長を務める。

 Neusoftは、瀋陽の東北大学教授だった劉氏が1980年代末に開設した研究室が母体となっている。アルパインや東北大学の出資を受け、1996年には「NEU-ALPINEソフトウェア」として上海証券市場に上場を果たした。 2001年にはNeusoftグループとして、傘下の企業群の統一・再編も図り、現在は1万人を超える巨大な企業グループに成長している。ちなみにNeusoftの「NEU」はNorth Eastern University(東北大学)の頭文字を取ったものだ。

 社名はNeusoftに変わったが、アルパインとの良好な関係は今も変わらない。アルパインが2003年に開設したアルパイン電子の大連R&Dセンターでは、大連を拠点とする250人のNeusoftエンジニアがソフトウェア開発業務に携わっているだけでなく、瀋陽を拠点とする大勢のNeusoft開発陣も支援している。

 Neusoftのソフトウェア開発力を活用できるアルパインでは、カーオーディオやカーナビの製品開発をほとんどすべて大連に移転する計画だという。製造拠点を中国に求める多くの日本の製造業は、Neusoftのようなパートナーを得られれば、開発と製造の一体化という観点から、組み込みソフトウェアの開発も中国にパワーシフトしたいところだろう。

 2005年のNeusoftの売り上げは28億人民元というから、1元=15円で換算すると420億円に達する。中国の物価水準を日本と比較するのは難しいが、1/5から1/10と考えれば、その規模は日本の大手システムインテグレーターに匹敵する。東北大学の協力を得ているほか、大連など3カ所に自前の大学を設立、毎年数千人のIT技術者を育成し、優れた人材を確保しているという。

 「留学先の米国では環境に恵まれた開発施設や、そこを拠点として生まれる産学協同の成果などを目の当たりにした。東北大学に帰って起業のためのセンターを設立したが、当初は支援してくれる企業もなく、自らつくるしかなかった」と劉氏。

大連市郊外のソフトウェアパーク。日本語スタッフをそろえたコールセンター、データセンター、傘下の大連東軟信息学院があるほか、アルパイン電子のR&Dセンターも入居している

中国初のソフトウェアパークを建設

 劉氏の学者としての考え方が、Neusoftを成功へと導いた。常に新しい理論を求める学者らしく、劉氏は斬新なアイデアで企業運営を進めた。1990年代半ばには、瀋陽郊外に中国で初となるソフトウェアパークを建設し、エンジニアが好んで働き、スキルを向上させていく環境を整えた。

 「瀋陽でソフトウェアの開発? 当時、ソフトウェアといえば、ほとんどの人は北京、上海、深センしか思い浮かばず、砂漠で耕作するようなものだと言われた」と劉氏。

       1|2 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ