激化する覇権争い――「夢のパソコン」の行方は温故知新コラム(2/2 ページ)

» 2007年09月26日 07時00分 公開
[大河原克行,ITmedia]
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夢のパソコン、しかし・・・

 具体的には、パソ協の技術検討委員会と同協会の会員会社およびパソコンメーカーなどが出資して設立した日本パーソナルコンピュータソフトウェア技術研究所(JPL)がこの推進母体となり、ベンチャー企業のトムキャットコンピュータとJPLが開発したBIOSを、ユーザーがフロッピーディスクなどを介して購入できるという仕組みが作られた。動作するパソコンはヴァーチャル・システム・ロジック(VSL)と呼ばれる回路を搭載し、これにBIOSを入れ替えれば、1台のパソコンで複数のプラットフォームを仮想的に動作できるとされた。

NECも、PC-98シリーズ用に「OS/2 WARP」を投入しWindows以外のOSも使えるようにした

 まさに、ソフトメーカー各社にとって「夢」のパソコンだった。どのプラットフォームで開発したソフトでも、1台のパソコンで動作できるということは、擬似的にプラットフォームが標準化されるのと同じことを意味する。ひいては、国際標準のIBM・PC/AT用のソフトを開発すれば、国内市場のみならず、海外市場にも打って出られるという判断もできる。家庭用ゲーム機向けソフトメーカーの成功を横目で見て、そろそろ海外も視野に入れたいと考えていたパソコン系ソフトメーカーにとっては、大きなチャンスが訪れたと判断するのも当然であろう。

 その一方で、ソフト・チャンネル・マシンの普及は、海外ソフトメーカーの参入もたやすくするという両刃の剣でもあった。とくにマイクロソフトやロータスなどは、すでに国内に拠点をおき、国内市場での事業拡大の準備が万全に整っていた段階だけに、国産ソフトメーカーはこのソフト・チャンネル・マシンを推進すべきかどうか、それによって自らの立ち位置を変えるべきかどうかの決断を迫られていたとも言える。ソフト・チャンネル・マシンの導入は、ソフトメーカーにとって夢であるとともに、大きな賭けでもあったのだ。

 実際、この夢のパソコンは製品化された。トムキャットコンピュータが第1号製品として「PC/3」の商品名で製品化。ヨドバシカメラの店頭で独占的に先行販売したのだ。当時の価格は最下位モデルで49万8000円、最上位の40MBハードディスクを搭載したモデルは70万7000円。しかも、発売と同時にヨドバシカメラ特価として最下位モデルが39万8000円、最上位モデルが56万5000円という、2割引きの特価がいきなり発表されたのも異例だった。

 しかし、ソフト・チャンネル・マシンは、この仕様を採用するメーカーが少なかったことなどが影響して、いつの間にか世の中から消えていった。周知のように、その後に登場したDOS/Vが国内パソコン市場の主導権を握り、日本のソフトメーカーでも国際標準をベースに事業を推進できる環境を提供した。

 複数のプラットフォームを動かしたソフト・チャンネル・マシンだが、世の中そのものを動かしたのは、皮肉にも後発のDOS/Vパソコンという結果となった。(肩書きはすべて当時のもの)

このコンテンツは、月刊サーバセレクト2006年2月号の記事を再編集したものです。


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