Microsoftのレイ・オジー氏、オープンソースやAzureなどを語る(4/4 ページ)

» 2008年11月06日 16時11分 公開
[Darryl K. Taft,eWEEK]
eWEEK
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Azureはどのようにして実現したか

―― Azureに話を戻します。Azureはどのようにして生まれ、開花し、開発されたのでしょうか?

オジー 2005年は、わたしが初めて関与した重要な年でした。いくつかの書類とプレゼンテーション資料を書き上げたのです。基本的に、それらは今日のわれわれの前にあるサービスのビューポイントを示すためのもので、バックエンドはどうなって、フロントエンドはどうなっているか、といった内容でした。それを実現するための方法は、現場のグループに出向いて「やってくれないか」と声をかけるだけだったのです。問題は、その当時VistaとOffice 2007の開発の真っ只中だったことで、開発者の多くがその仕事に没頭していたことでした。

 そこで、われわれはコストをかけて新しいグループを組織することにしました。1つのグループは、Live Meshの開発に携わり、もう1つのグループが今日のAzureにつながる「Red Dog」プロジェクトを担当しました。

 アミターブ・スリバスタバ氏がグループの創立者で、デイブ・カトラー氏が共同創立者です。彼らはそこからスタートしました。わたしが彼らにビジョンを示すと、彼らはそれを持ち帰って批判的に検討しました。そして、独自のリアリティチェックを実行するため、さまざまな開発チームやデータセンターを回り、最後にサービスチームを訪問しました。

 Microsoftのサービスチームとは、いわば傍流でした。スタッフはOSの開発ではなく、MSNの運営管理という地味な仕事に従事していたのです。しかし、スリバスタバ氏らがそこを訪れると「おお、ここはまったく別の世界だ。まったく異なるOSが必要だ。われわれは金をドブに捨てている。われわれは……」と叫んだのでした。

 彼らが発見したものは、マシンキャパシティの余剰であり、プロビジョニングを待っているパワーだったのです。なぜ、使われもしないパワーがそこにあったのか? それは常にOSのアップデートに対応できるようにしておく必要があったからでした。ですが、実際には単にパワーを無駄にしているだけでした。

 今日、エネルギーは重要な問題です。彼らは「見ろよ、この資産はもっと有効利用できる。そして資産が増えれば増えるほど、われわれはコストをセーブできる」と考えました。それらの資産は、余剰キャパシティを抱えて待機する膨大な量のマシン群で、それぞれに少しずつ設定が異なっていました。

 彼らはまさに大きな改革のチャンスを見出したのです。彼らがそこに着目したことをわたしは心から喜んでいます。

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