修羅場を乗り越えてきたJavaの新たなる試練Weekly Memo(2/2 ページ)

» 2008年12月08日 08時36分 公開
[松岡功ITmedia]
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ITバブル崩壊に潜んでいた開発言語の転換

 「Javaはエンタープライズ向けからコンシューマー市場まで本当に幅広く使われるようになった」

 ゴスリング氏はこう言いながら、いくつかの利用例を紹介した。そんな同氏の言葉を引き取った形で、筆者がこれまでエンタープライズ向けJavaに関して取材してきた中で非常に印象深かった話を記しておきたい。

 ある大手システム開発会社のエンジニアがこんな話をしてくれた。

 「今やエンタープライズ向けサーバアプリケーションの大半はJavaで作られているが、振り返ってみるとつい最近までおよそ30年間、サーバアプリケーションの開発言語はCOBOLだった。つまり、COBOLからJavaへサーバアプリケーション開発言語が歴史上、初めて変わった。これが何を意味するかというと、言語だけが変わったのではなく、これまで培ってきた設計や性能検証、見積りの方式や、レビューのノウハウなどがすべて変わってしまった。このインパクトは相当、大きかった」

 そしてこう続けた。「2001年以降、世の中はITバブルがはじけてしばらく不況に陥った。その要因はネットバブルなど複数あるが、とりわけ2003〜2004年ころ、大手システム開発会社が不採算案件に苦しんで業績を悪化させた背景には、開発体制としてCOBOLからJavaへの転換がスムーズに行かなかったことがあった。つまり、Javaでの開発が追いつかず、あちこちのプロジェクトが頓挫した。ただ、このことは技術力を問われる話なので、どこも表に出したくない。したがってプロジェクト管理が不十分という理由が表に出た。もちろん技術力のリスク管理もプロジェクト管理ではあるが…。いずれにしても、大なり小なり各社ともこうした修羅場を乗り越えてJavaをものにし、ここ数年、業績を回復させてきた背景がある」

 生々しい話だが、システム開発会社の多くのエンジニアには、記憶に新しいところかもしれない。「だからこそ」と前出のエンジニアは、Javaに対してあらためてこう注文をつけた。

 「Javaがこれから最も求められるのは、今後50年、安心して使える言語であり続けること。すでに資産も大量にできつつあるので、短命に終わってもらっては困る。COBOLに続く第2世代のサーバアプリケーション開発言語としてこれから半世紀、進化し続けてもらいたい」

 これがまさに、エンタープライズ向けJavaの新たなる試練である。

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プロフィール

まつおか・いさお ITジャーナリストとしてビジネス誌やメディアサイトなどに執筆中。1957年生まれ、大阪府出身。電波新聞社、日刊工業新聞社、コンピュータ・ニュース社(現BCN)などを経てフリーに。2003年10月より3年間、『月刊アイティセレクト』(アイティメディア発行)編集長を務める。(有)松岡編集企画 代表。主な著書は『サン・マイクロシステムズの戦略』(日刊工業新聞社、共著)、『新企業集団・NECグループ』(日本実業出版社)、『NTTドコモ リアルタイム・マネジメントへの挑戦』(日刊工業新聞社、共著)など。


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