会社が無くなる――根底から変化する日本の産業構造伴大作の木漏れ日(1/3 ページ)

大手コンピュータベンダー幹部と会って話をした。話題は日本の産業構造が根底から覆るのではないかという話だ。これはわたしがこの十年の変化を振り返ってじっくり考えて得た結論だ。

» 2009年04月03日 16時02分 公開
[伴大作,ITmedia]

オーバーカンパニー

 日本の産業構造の特徴としてオーバーカンパニーが指摘され続けてきた。確かに、日本の業種ごとの数は諸外国と比べて明らかに多過ぎる。これは敗者を生まないようにお互いの縄張りを侵さないという暗黙の了解の上に成り立つ。「弱者の理屈」だともいえる。

 また、企業内でも儲かっている部署は収益力の劣る部門で働く人たちを仲間として「相互扶助」という精神で成り立っていた。産業を監視する立場の官庁も「天下り」という果実を得るため、あえて、競争を促す政策を取らなかった。

 つまり「もたれ合い」が全ての産業で行われていたのだ。今回の金融恐慌は確かにわれわれの生活に大きな不安を与えたが、もう一方で、永年課題となっていた上記の日本的な伝統的慣行、価値観を払拭する契機を与えてくれるかもしれない。オーバーカンパニーは解消に向かうのだろうか。

平成金融恐慌から産業収縮へ

 今回の金融恐慌は震源地、英国や米国の金融機関の業績悪化は当然として、世界中の金融機関を巻き込む大きな経済問題となった。それは実体経済の裏づけのない、一種の金融ギャンブルが世界規模で行われたことを意味している。その元凶を探ると、結局、米国の地価バブルに行き着く。

 つまり、日本の不動産バブルと根本的には同じ構図だ。日本の土地バブル崩壊との違いは、土地を担保に金を借りている人の数が、日本とは桁違いに多いということ。一般の消費者が、自分の不動産を担保としたカードローンで、さまざまなものを購入してきた仕組みが完全に崩壊したのだ。その結果、極端な信用収縮が起こり、世界最大の米国消費者市場は崩壊した。

 製品の海外輸出、中でも米国市場に売上の多くを依存していた日本の優良企業も大きな影響を被った。多くの企業は大幅な収益悪化に見舞われ、利益縮小、場合によっては赤字に転落した。

 その結果、各企業は自社の事業内容を一から洗いなおさざるを得なくなった。彼らが導き出した結論は「中核ビジネスへの経営資源集中」だ。まず始めるのは自社内で完結できる組織の見直しだ。見直しの過程の中で、利益を生まない部門は閉鎖とか、売却の対象となる。日本的な相互扶助は急速に過去の遺物となりつつある。

 その最も典型的な例が日立製作所であり、東芝だ。両社とも、日本を代表する総合家電メーカーだが、重電と家電の両方の市場で大手だ。日立は洗濯機や冷蔵庫のような白物家電では名門の一つであり、東芝はテレビ事業で世界的に認知された企業でもある。

重電部門だから安心か

 ちょっと気になることがある。重電に経営資源を集中するというが、本当にそれでよいのだろうか。そもそも重電という概念は日本独自のものだ。世界を見回せば、日本のような業態は非常に珍しい。

 ライバルと目されているのは、ドイツのSiemens、米国のGE、スウェーデンのABB、フランスのALSTOM Transportだが、日本のようにモーターから発電機、列車、エレベータ、MRIに代表される医療器械まで、これだけ多品種のラインアップをそろえている会社はない。どの企業も得意分野を持ち、そこに経営資源を集中している。その結果、彼らが対象としている市場で世界的に大きなシェアを獲得しているのだ。

 それに対し、日本企業は、海外の企業との競争より、日本国内市場での競争を優先し、品ぞろえを中心に据えてきたため、どのビジネスカテゴリーでも、圧倒的な地位を確保していない。むしろ、圧倒的な地位に立つことを恐れているかのように見えるのはわたしだけだろうか。その点で、東芝が原子力に目をつけたのは正しいといえる。ライバルは米国のGEとフランスのAREVAしか存在しないからだ。

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