IT人材の偏りが招く「国難」 IPA登氏、労働価値がスケールする領域への人材転換を提言

IT人材が低収益な領域に偏り、日本はデジタル国難に直面している。IPA登大遊氏はこの構造を問題視し、GDP1000兆円達成へ向け、労働価値がスケールする領域への人材転換を提言した。

» 2025年12月17日 07時00分 公開
[指田昌夫ITmedia]

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 日本のデジタル産業が、経済成長の停滞と国際競争力の低下という「国難」に直面している。その根本原因は、IT人材が収益性の低い特定の領域に偏りすぎている構造にある。

 2025年11月、「情シスSlack」によって「ビジネステクノロジーカンファレンスジャパン2025」が開催された。基調講演に登壇した情報処理推進機構(IPA)の登大遊氏(産業サイバーセキュリティセンター事業部 シニアエキスパート)は、この危機的状況を打開し、日本のGDPを回復させるための大胆な戦略を提言した。

日本の経済的危機とデジタル人材の課題

 登氏は筑波大学の学生だった2003年、IPAの未踏ソフトウェア事業で「SoftEther VPN」を開発し、スーパークリエーター認定を受けたエンジニアだ。その後自ら起業したソフトイーサの社長、筑波大学の客員教授、IPAサイバーセキュリティ事業部、NTT東日本特殊局員など複数の肩書を持つ。

 講演冒頭、登氏は、日本が直面する経済的な課題と、デジタル人材の不足について話した。

 人口減少と高齢化が進む日本では、今後社会保障費の増大などが不可避な状況にある。閣議決定によれば、現在の日本のGDP600兆円を2040年には1000兆円まで増やさなければ、経済を維持することができないとされている。半面、労働者人口は減少の一途をたどり、今後35年で、働ける人は全国民の半数しかいなくなるという厳しい予測もある。

 そのため、労働者1人当たりの付加価値を向上させることが急務だ。「400兆円の不足分をどうやって稼ぎ出すか。私は、デジタル分野の人材を増やすことで埋め合わせることが可能だと考えている」と登氏は話す。

 デジタル人材を育成し、デジタル産業を強化して国際競争力を高めることで、将来の経済的な課題を克服できると同時に、デジタル基盤を自国で構築すれば、日本の統治も維持できると登氏は語る。

高付加価値なデジタル人材へのシフトが不可避

 前述の課題を解決するには、日本におけるデジタル人材の確保を急ぐと同時に、その人材が高付加価値な仕事をして大きな利益をもたらす必要がある。そのためには、デジタル領域でどの仕事に就くかが極めて重要だというのが登氏の主張だ。

 登氏は、デジタル産業を構成する3つの分類(A、B、C)について説明した。

 分類Aは、「デジタル基盤製品、サービス」の領域で、OSやインターネット基盤、セキュリティ基盤、ハイパーバイザー、クラウド基盤などが該当する。具体的なサービスでいうと「Amazon Web Services」(AWS)や「Microsoft Azure」「Google Cloud」「iOS」「Docker」「Node.js」などの基盤技術だ。

 分類Bは、分類Aの上で動く「アプリケーション、システム」で、例えば「Netflix」「Microsoft 365」「Google Workspace」「SAP ERP」「Salesforce」、日本では「LINE」「kintone」「Yahoo Japan」などがこれに当たる。

 そして分類Cは、A、Bの基盤やシステム上の「デジタルサービスを支援する領域」であり、いわゆるITコンサルタントや受託開発プログラマー、システムインテグレーターなどの職種だ。

 「A、Bをすぐに使えないユーザーに対して活用を支援するサービスがCで、日本はここに多くの人材を抱えている。一方、A、Bは非常に少ない。これが問題で、Cの人材をAまたはBに転換させることが不可欠だ」

 なぜかというと、AまたはBのデジタル産業は、労働時間当たりの価値が無限にスケールするからだ。例えば「Amazon Prime Video」を一度作って普及させれば、メンテナンスは必要だとしても基本部分は何十年も稼働させられる。そのため得られる価値は青天井に拡大する。一方のCは人的なサービスであるため、基本的に時間当たりの労働力で経済価値が算出される。規模を拡大するためには、人数を増やすか労働時間を増やすしか方法がない。

 これを裏付けるデータとして、米国の統計ではAやBにかかわる個人が得る給与は年間3000〜4000万円で、同時に企業は一人当たり約5000万円の利益を得ているという。一方Cは日米とも個人は1000〜1500万円、企業の利益は約500万円と非常に少ない。日本ではA、B人材が約8万人に対してC人材が約95万人と圧倒的に多いため、収益性の低い領域にデジタル人材が偏っている状態だ。

 「もう一つのポイントは、AやBはAIによる代替が非常に難しい分野であることに対して、Cの多くはAIで代替が可能なことだ。ユーザーが賢くなり、AIを使ってAとBの領域を直接使うようになれば、Cの介在する余地が減り、市場が縮小する」と登氏は危機感を示す。

 日本がA、B人材を強化する意味合いは、国際競争力の点からも重要になっているという。

 「米国では2010年代後半から、デジタル人材をAI開発に集中させている。その結果、システム基盤を担うA人材が極度に不足する状況に陥っている。既にAmazonは自国で人材をまかなえず、H-1Bビザ(専門人材の就労ビザ)を使って大量の中国、インド人を雇う必要に迫られている。それを知った中国は、逆にOSやネットワーク基盤、セキュリティ領域の人材を育成する政策を強化している」

 米中の状況は、近い将来、デジタルインフラが中国の技術に依存する可能性を示唆している。日本はこの状況をチャンスと捉えるべきだというのが、登氏の主張だ。

 米国に代わって日本がインフラ技術を担うことができれば、それを欧米諸国に提供することで存在感を高められる。さらに、中国に頼らざるを得ない欧州の一部や中東、アフリカなどの国に対しても、新たな選択肢を提供できる。

社会的便益(ASV)を意識して人材を育てる

 「日本の国難」ともいえるデジタル人材の偏りを正し、高付加価値な人材を増やしていくにはどうすればよいか。ここで登氏は、「年間社会的便益」(ASV:Annual Social Value)という概念を取り上げ、ASVの獲得が日本の技術力をスケールさせる突破口となると説明する。

 ASVは、無料ソフトウェアが創出する社会的便益を算定するために使われる。無料で配布されているオープンソースソフトウェアの表面上の売り上げはゼロだが、その技術が普及し、商業的なシステムに広く組み込まれることによって社会的な価値をもたらすことを根拠としている。

 「重要なのは、いきなりビジネスで収益を上げることを考えるのではなく、まずASVを生み出すことが、大規模プラットフォーマーになる第一歩だということだ。AmazonやMicrosoftといった巨大企業も、最初から大企業として生まれたのではなく、数億円程度のASVを持つ少人数のスタートアップを結合し、成長してきた」

 ASVの計算は、従来コンサルティング企業に依頼しなければ出せなかったが、今では「ChatGPT-5 Pro」に質問すれば、15分ほどで計算してくれるという。ちなみに登氏が開発した「SoftEther VPN」は、世界で約1000万台のシステムにインストールされ、海外利用率は93%、ASVは411〜610億円と算出された。

 デジタル分野における高いASVの代表は、PythonやLinuxカーネルのように、無料で配布され売上がゼロであっても、その社会的な価値が数十兆円にも上る技術だ。PythonのASVは11兆4000億〜21兆円、Linuxカーネルは8兆7000億〜9兆7000億円あるとされており、日本発の技術でも、まつもとゆきひろ氏のRubyは1兆3000臆〜2兆7000億、坂村健氏のTRON RTOSは1086〜1100億円のASVとされている。具体的な数字よりも、金額の「桁」が大事だと登氏は話す。

 要は、日本でデジタルシステムの基盤を担うA、B領域で高いASVを生み出す技術を開発することで、経済価値を生み、日本のGDPを引き上げることにつながるというのが、登氏の提案だ。

 「わずか1000人の技術研究者が、1人当たり平均100億円のASVを稼げば、年間で10兆円の価値が生まれる。もし4万人の人材が育成されれば、日本の不足分である400兆円が達成可能となる」

「ガレージ」で自ら開発する力を付ける

 この高いASVを稼ぎ出すために、登氏が提案するのが「ガレージ」という場だ。登氏自身がSoftEther VPNの開発で、最初は「自宅データセンター」、次に筑波大学のキャンパスに開発のためのスペースを確保した。それらが、ガレージだ。

 「学内にガレージを作って、インターネットにつないでもらった。そして年に一度、学内の裏庭に不要になったコンピュータを集めて廃棄する日があり、そこから多数のサーバやネットワーク機器を拾って実験に使った。こうした環境で開発することが必要だ」

 前述の通り米国の巨大プラットフォーマーは、全てガレージから生まれている。既製品を使わず、ソフトウェアやネットワークを自分たちで勝手に構築することを黙認して自由に開発させることで、世界的な技術が生み出される。登氏は日本でも、キャンパス内ガレージを普及させるべきだと話す。

 「ガレージの提供は、宿主組織である大学などにとってもメリットがある。例えばGoogleとYahooにガレージを提供していた米国スタンフォード大学には、約600億円の寄付が還流した」

 キャンパス内ガレージができたら、次の段階が、各ガレージをつなぐネットワーク(NREN=National Research and Education Network)の構築だ。

 「1つのガレージだけでは実験に必要な回線容量やグローバルIPなどが足りなくなる。日本全国で1つの自由実験用ネットワークを構築しなければいけないが、日本には既にベースとなる回線が普及しているので、それらを専用線として使えばいい。これは大きなアドバンテージになる」

 そして3つ目が、ガレージ人材と既存の産業界を結び付け、ASVを持つ技術に投資してビジネス化する仕組みの構築だ。「日本にはベンチャーキャピタルがそれほど多くないが、既存企業、成功したスタートアップなどの支援に期待している。彼らがガレージの人材に資源を注入すれば、1万人のデジタルインフラ人材を育成することも不可能ではない。IPAでは、この構想を実現すべく取り組んでいる」と、登氏は語る。

 日本発のネットワーク基盤技術の登場が、その上で動くさまざまなデジタル産業製品の市場を拡大し、日本が抱える経済的課題の解決につながる。そのとき、日本が21世紀の世界のデジタルをけん引する国になるというのが、登氏が描く日本復活のシナリオだ。

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