ヴィルヘルム・ライヒ(出典:classiques.uqac.ca)
精神分析とマルクス主義の統合を目指した心理学者で、性革命理論の提唱者として知られるヴィルヘルム・ライヒは、1897年3月、オーストリアのガリツィア地方で生まれました。
14歳のときに母親が自殺し、父親もライヒが17歳のときに肺炎で病死するという経験を経たライヒは、一度は陸軍に入隊しますが、すぐに除隊。その後、ウィーン大学法学部に入学します。ほどなくして医学部に移ったライヒは、そこで精神分析を学び、1922年には医学博士号を取得します。
すべての人間は「性欲」(リビドー)に支配されているとするジークムント・フロイトから指導を受け、フロイト派の精神分析家として活動したライヒは、フロイトの後継者になるとみなされていました。しかし、リビドーを精神的なものと考えていたフロイトに対し、ライヒは、リビドーとは微細な物理エネルギーであると考えていたようで、1927年にはフロイトとの対立が表面化、1934年には国際精神分析学会から除名されてしまいます。
ナチスに代表されるファシズムを性的抑圧によるノイローゼ患者のサディスティックな表現であるとした『ファシズムの集団心理学』などを上梓したことで、ナチスドイツからも危険視されていたライヒは、1934年、ノルウェーに亡命。オスロ大学の心理学研究所の実験施設で、人間が性的に興奮したときの皮膚電位の変化を測定し始めます。
一方で、この時期、顕微鏡観察によって、滅菌した肉汁中に小胞(バイオン)を発見します。これは、内側から青みがかった淡い光を放ち、不規則に脈動する直径1ミクロンほどの小胞です。これをあらゆる生物の根源的な機能単位と考えたライヒですが、ノルウェーの科学者たちから激しい非難を浴び、1939年には逃げるようにして米国に亡命します。
オルゴンの発見
米国に移ったライヒは、内部に薄い鉄板を張った合板製の箱を使い、海砂を加熱したときに発生するバイオンが特に強く発光するという仮説の実証実験に取りかかります。しかし、この箱からバイオンを取り出しても発光が消えないことから、ライヒは宇宙に偏在する未知のエネルギーがあると考え、それを性のオルガスムスにちなんで「オルゴン」と名づけます。
1940年、箱の外側にエネルギーを吸収する有機物を、内側にはそれを反射する金属を張ったエネルギー集積器「オルゴンアキュミュレーター」(オルゴンボックス)を完成させます。このオルゴンボックスは、やけど、ガンなどの腫瘍(しゅよう)、神経症などの治療に効果があることが判明したため、彼はその研究に着手し、オルゴン療法を確立していきます。
1942年にオルゴノンという研究所を設立したライヒは、ラジウムの放射能をオルゴンエネルギーで中和しようと考え、1950年から大規模実験を敢行します。しかし、放射能の影響でオルゴンエネルギーが「Deadly Orgone」(死のオルゴン:DOR)に変化するという結果となり、実験にかかわった全員が肉体的/精神的な変調を訴えたため、1951年はじめに実験は中止されました。
クラウドバスターの誕生
天候さえも操るとされる「クラウドバスター」(出典:cez-okno.net)
実験後には研究所の上空にライヒがDOR雲と名づけた黒雲が1カ月にわたって出現したといいます。オルゴンもDORも水に引きつけられるところから、ライヒは長い金属パイプをDOR雲に向け、パイプにつないだケーブル線を深い井戸に入れ、雲のエネルギーを吸引することを考えつきます。これが、DORに限らず、大気中のオルゴンエネルギーを分散、あるいは集中させる「クラウドバスティング」という技術であり、ライヒは水中にアースした中空のパイプを数本束ねた装置「クラウドバスター」で何度か気象コントロールを行い、成功を収めたとされています。
しかし、オルゴン療法がガン治療機の不法製造販売に当たるとFDA(米国食品医薬品局)から訴えられたライヒは、裁判中に法廷侮辱罪で投獄され、1957年11月に獄中で死亡します。
ライヒのオルゴン研究はいわゆる疑似科学として扱われていますが、科学と疑似科学の境界はあいまいなものです。オルゴン療法も、実際には「生物学的オルゴン療法」と「物理学的オルゴン療法」に分けられており、前者は精神分析の応用で、現代医学ないし科学と矛盾するようなものではありません。後者はオルゴンボックスを用いた治療ですが、これはあくまで実験的な治療であり、それを商売にしていたわけでもありません。ただ一方で、UFOもオルゴンエネルギーを利用した乗り物であると考え、クラウドバスターでUFOを撃墜すべきであると提唱するなど、変わった言動も目立ったことが、ライヒの不幸だったのかもしれません。
ライヒが提唱したオルゴンエネルギーもまた、いつの日か科学として認められる日がくるのでしょうか。
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