どん底の日々からわたしを救った朝の時間オルタナティブな生き方 坂本史郎さん(苦闘編)(1/3 ページ)

毎朝4時20分に起床して、全社員へのメールとオルタナティブ・ブログ「坂本史郎の【朝メール】より」執筆を日課としている坂本史郎さん。後編では、起業からの苦闘の日々、そして内観を経て朝の時間を活用するようになった経緯を聞いた。

» 2010年07月29日 11時30分 公開
[聞き手:谷川耕一、鈴木麻紀,ITmedia]

前編のあらすじ

 幼少期を外国で暮らし、そのころ培った語学力と異なる文化への接し方を武器に米国とのジョイントベンチャーで活躍した坂本史郎さんは、念願かなって米国へ留学した。しかしMBAを取って帰国した坂本さんにあてがわれた仕事は、稼働率の落ちた工場での草むしり。「会社を辞めて起業したい」と相談した坂本さんに、彼の父は待ったをかけた。

 オルタナティブな生き方 坂本史郎さん(青春編):MBA取得、そして工場での草むしりの日々


50%から120%へ

坂本史郎さん 『坂本史郎の【朝メール】より』 坂本史郎さん
(写真撮影:amanaimages

 父はわたしに、「東レはお前のために、これまでにいったいいくら、投資してくれたんだ」と質問しました。そう言われてみれば、東レには留学などの大きな投資をしてもらっています。そこで、「ここで辞めるのはアンフェアだ。3年間、とにかく東レで全力を尽くしてみよう。それできちんと結果を出してから起業すればいい」と考えるようになったのです。

 そこからじっくり考えてみたら、わたしは草むしりをすることではなくて、工場の人たちが働けなくてつまらない顔をしていることが嫌なのだ、と思い至りました。だったら工場をフル稼働させよう。そのために『ケブラー』の新たな用途開発をすればいいじゃないか、と。

 そこから幾つもの用途開発にトライしました。そのうちの2つが成功し、工場の稼働率を120%くらいにまで引き上げることに成功しました。そこで、これで東レに恩を返すことができたと、晴れて起業することにしたのです。

 起業方法を探ったところ、東レにベンチャー企業育成の制度がありました。知らない誰かに出資してもらうよりも、東レに頼む方がいいだろうと、また東レにお世話になることになりました。当初のビジネスプランは電子メールを保管するサービスの提供で、今のGmailのようなものでした。そしてこれは、現在のいいじゃんネットのサービスである『CACHATTO(カチャット)』の原型でもあります。

 ケブラーのビジネスを伸ばした功績もあったためか、ビジネスプランは2カ月ほどで承認されました。そして、東レベンチャー支援制度の第1号として、友人2人と2000年3月に起業しました。当初は東レからIT企業が誕生したということで、IT系雑誌などにも数多く取り上げてもらったものです。

起業はしたけれど

 国内で優秀な技術者を集めるのが難しかったので、当時オフショアで日本進出をし始めていたインドの企業とメール保存システムの開発をすることになりました。ところが、わたしたちに開発経験が十分になかったこともあってか、お金ばかりがかかって、なかなか良いものができません。

 それでは別の物を作ろうと、無料のサービスを作ったりもしましたが、それらもまったくビジネスになりません。結局は受託開発をしてなんとか会社を回す、という状況でした。借金もありましたし、このまま受託開発で自転車操業的に会社をやっていてもビジネスを大きく伸ばせない、わたしがやりたいのは、ASPのようなストック型のビジネスでした。

 そこで2002年5月、200社プロジェクトを開始します。これは200社のユーザーに、どういう物やサービスだったらお金を出して購入したいかを徹底的にヒアリング調査したものです。その結果生まれたのが、現在提供しているCACHATTOサービスです。CACHATTOは、安全にビジネスモバイルアクセスを実現するソリューションで、ユーザーが使い続けた分だけが収入になるストック型のビジネスです。

 2003年1月に、CACHATTOの最初のバージョンをリリースしました。創業から約3年間、受託開発と借金でなんとかキャッシュフローを回してきましたが、良い製品サービスを提供するには集中する必要があると考え、この時点で思い切って受託開発をやめました。

 とはいえ、会社が成り立つほどCACHATTOは売れませんでした。資金繰りは悪化し借金もさらに増え、役員報酬も払えなくなります。2005年秋頃には、いよいよ会社が立ちゆかなくなりました。

 ただ、そんなときにも、前倒しで購入代金を支払ってくれる顧客がいたり、販売パートナー企業が一定数のライセンスを事前購入してくれたりと、周囲が助けてくれたおかげで会社を続けられました。とはいえ、現実はかなり厳しく、40歳を超えて親にお小遣いをもらわないと生活もできない、本当に情けない時期でもありました。

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