今回は、「客観性」が勝ち過ぎているビジネスマンについて考えます。
皆さんこんにちは、IT・情報戦略コンサルタントの辻井康孝です。
前回に引き続き、ビジネスマンにとっての「情熱と客観性のバランス」について、考えてみたいと思います。
前回の記事では、情熱が勝ち過ぎていた場合にどうなるか、ということについて考えました。今回は逆に「客観性」が突出しているとどういうことが起こるかについて、考察してみましょう。
まず大前提として、ビジネスにとって「客観性」は必須です。これはもう、当たり前のことですよね。客観性のない会社は、間違いなく倒産します。
ただ、すべてが客観性のみによって判断され、進行していく組織には、活気が生まれにくくなります。特に経営者がこういうタイプの場合、その企業の特色として、まず社員に覇気がなくなります。またその経営者の器と能力を超えるビジネスはなかなか生まれないので、事業をブレイクスルーする力に欠ける会社が多いということも言えます。
社員も、どちらかと言えば淡々と義務的に業務をこなす、というモチベーションになるでしょう。ゆえに、社員の間には、エンゲージメント、つまり愛社心がなかなか芽生えにくくなります。
昨今の経済状勢では、企業に勤めるサラリーマンといえども、事業家的要素が強く求められています。ベンチャースピリットと言ってもよいかもしれません。
もちろん、前回の記事でも書いたように、単に「アツいだけ」の人材は企業にとっては非生産的で、あまり役には立たないのですが、かといって情熱がまったくなく、常にクールに判断して物事に対処していくだけの人も、役立つ人材とは言えません。
そして、経営者の客観性が勝ち過ぎてしまうと、社員に対して過度に手厳しくなってしまいます。やはり社員も人間ですから、場合によっては適度に手綱をゆるめてあげなければいけません。でも「客観的な」経営者は、厳しくやり過ぎてしまう傾向があるのです。
余談ですが、先日Twitterで、ある高名な国際政治学者が「偉大なリーダーに性格がいいヤツなんていない」と発言していましたが、言い得て妙だと思います。
この場合の「性格の悪さ」とは、怜悧で客観的な面を持ちながら、それをおくびにも出さず、人心掌握してしまえるしたたかさも持っている、ということでしょう。
言い方を変えると、これを表面的に強く出してしまうと人心は離れやすくなる、ということです。経営者ではないビジネスマンの場合でも、同じです。客観性が勝ち過ぎてしまうと、同僚や部下からの人望が集まりません。冷たいイメージでとらえられてしまうからです。
ゆえに、情熱と客観性の両方を兼ね備えていることが、ビジネスマンとして大成するためには必要な条件となります。いわゆる「クールヘッド・ウォームハート」です。
次回の記事では、僕が見知ってきた人の中で、その両方をみごとに兼ね備えていた人々が、どのようにそのバランスを保っていたのか、実例を挙げて紹介したいと思います。
当記事はブログ「ITコンサルの四方山談義」から一部編集の上、転載したものです。エントリーはこちら。
IT・情報戦略コンサルタント、ザイ・コーポレーション代表取締役。音楽業界、広告業界を経て2000年より現職。マルチメディア草創期よりITビジネスに携わり、上場企業を始めとする多くの企業で顧問・監査役等を歴任。情報戦略立案、Webマーケティングなど、主に企業経営者向けにコンサルティングを実施。
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